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上手切らず下手切らず

 昨日ほぼ一日中にわたって降り続いた雨も今朝には止んでいましたが、今日の仙台は厚い雲に覆われて、はっきりしない天気です。これから夜にかけて再び雨の予報。一雨ごとに秋が深まり、もうすぐ冬ですね。
 最近医療に関しても種々さまざまな意見が聞かれ、いわゆる「医療不要論」「医者に殺される云々」などの書籍がよく読まれているようです。自分の身は自分で守ることが大切で、医者の言うことを無条件に鵜呑みにすることへの警鐘として意味のある言説なのかもしれません。しかし明らかな高血圧にもかかわらず、「血圧は高いほうが安心なんだ。高血圧なんて薬の会社と癒着している医学界の戯言だろ。」などとお話しされる方を見ていると、少し心配になります。今回はその辺りに焦点を当てて考えてみました。


 震災後に始めたジョギングが長続きして、ついには本格的なマラソンにチャレンジするようになったのだが、幸いに今まで大きな故障もなく過ごしてきた。ところが今年春頃に突然右脚大腿部後ろから膝の裏側辺りまでの痛みと張りが出現し、しばらくの間走れない日々が続いた。初めて整体院を訪ねてみると、「軽い肉離れ」と診断され、テーピングやストレッチの指導を受けた。確かに今まで走る前の準備運動や、走り終わった後のストレッチはつい面倒で省くことが多く、それでも特に支障なく過ごしてきたので、なんとなく自分は大丈夫だとの過信があったことは否めない。改めてランニングに関する本の色々を読み返してみると、ジョガーに多発する故障と対処方法としてのストレッチに関しては、いずれの書籍もかなりのページ数を割いて詳説している。専門家の言うことはきちんと聴くべきであるという、当たり前のことを再確認した次第。
 話は変わって、料理のこと。ぼくは今まで包丁で大怪我をしたことが一度も無い。一方で女房はごく稀に、けっこうな深手を負う。この差は奈辺にあるのかと思っていたら、京都の老舗懐石料理店「辻留」の二代目、辻嘉一氏が言ったとされる、「上手切らず下手切らず」という言葉に出会った。なるほど上手は刃物を完璧に使いこなし、自らを傷つけることはない。一方で下手も刃物をおっかなびっくり慎重に扱うから、怪我をすることはないということか。そうだとすると、ぼくは料理が下手で女房はプロの域に達しつつあるということだ。納得。この「上手切らず下手切らず」をふまえて、ぼくの故障を改めて考えてみた。要するに今までは故障するほどの負荷がかかる距離は走れない初心者で、最近漸く一段ステップアップしたということか。なるほど。これからは先人のアドバイスを素直に聞き入れて、ランニング前後のストレッチはしっかり行うことにしよう。
 しかしながら、人の言うことに素直に耳を傾けることはなかなか難しいのも事実だとおもう。とかく忠告、苦言は耳障りなものだ。でもそこをぐっと堪えて聞き入れたほうが良い場合が実に多い。自分だけは大丈夫との自信には根拠が無く、残念ながら必ずいつか打ち砕かれる。ぼくが専門とする糖尿病は基本的に無症状の病気であり、問題となる合併症が出現するまでには十数年という長い時間がかかることが多い。それが故に、合併症の危険性を口が酸っぱくなるほどまでに諭すことしばしばであっても、現在何も症状が無ければなかなか実感が湧かずに聞き入れて頂けないケースも数多である。加えて今は所謂「医療不要論」のようなものが隆盛を極めており、高血圧の危険性も医者と製薬会社の結託による陰謀論だとか、糖尿病の薬やインスリンは使用しない方が身のためだなどの異論、暴論が目に付く。それらを信じることも、もちろん自由である。でも本気でそう信じているのであれば、あなたは病院や診療所には来ないはずで、市民健診なども一切受けないという結論にたどり着く。それにも拘らずぼくの所に相変わらずやって来ては、ああでもない、こうでもない、薬は陰謀だから飲みたくないと持論を長々と披露するのは、実はあなたの不安がなせる業だとよく解ってもいる。あえて申し上げるが、ぼくは糖尿病のプロとして20数年間にわたり、色々なケースを診てきた。その経験に照らして目の前に居るあなたの状態を冷静に判断すると、今後あなたの病気がどのような経過を辿って行き、このまま手を拱いているとどのような末路が待っているのか概ね想像がつく。だからぼくのクリニックに来院された以上は、なるべく悲惨な末路に辿り着かぬよう、行く道が安全であるよう願い、あなたに誠心誠意アドバイスをしたいと常々思っている。それに対して、「製薬会社との癒着」だとか「医者に殺されないための云々」などを根拠に長々と反論されることがあまりにも多いと、正直うんざりしてしまう。いくらフルマラソンで忍耐力を養っても、堪忍袋の緒に限界はあるのである。まあそれでも切れることは当分の間無いとおもうけど。
 糖尿病は別名「知識の病気」とも言われる。発病のメカニズム、合併症に関するあれこれ、食事療法から運動の仕方、そしてお薬の副作用まで、実に多くの知識を自家薬籠中の物にして初めて上手に付き合うことが出来る病気である。初心者は多くの場合熱心に勉強して取り組むので病状はすぐに安定するが、ちょっとした油断で振り出しに戻る。それでも大半の人はアドバイスを聞き入れてくれるので、それ程大変な事態に陥ることは無い。一方で何十年も糖尿病と過ごしてこられたプロは酸いも甘いも噛み分ける、歴戦の猛者であることが多いので、今となっては仮に己の欲に身を任すままに過ごされたとしても、それ程痛い目には遭わないことが多い。最も危険なのは中堅どころというか中途半端な知識を持つ人たちで、巷に溢れる民間療法やサプリメント、そして医療不要論などにかぶれてしまうことがとても多い。この人たちは糖尿病療養に関して下手でもなければ上手でもない。つまり場合によっては大きな怪我をして、取り返しのつかない事態に陥る危険性があるということを肝に銘じて欲しいと願う。
 「上手切らず下手切らず」、含蓄のある良い言葉である。