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贈り物が運ぶもの

 今年は例年に比べると遅い梅雨入りでしたが、ここ数日雨模様で、この季節らしい日々が続いています。九州地方の大雨、箱根山の噴火など天変地異も気になるところですが、安保法案を巡る自民党、政府の行動もたいへん気になりますね。昨日の新幹線車両火災も衝撃的でした。なんだか天候と同様、どんよりとした空気が立ち込めている今日この頃ですが、気分一新、新しいエッセイを皆様にお贈りします。

 先日山形に住む友人から見事なサクランボが届いた。木箱に整然と並べられた佐藤錦はまるでルビーのような輝き。妻と歓声をあげつつ、我慢できずにその場で一粒頬張ってみれば、甘酸っぱい初夏の味が口いっぱいに広がり、幸せを感じるひと時であった。
 日本には「御中元」と「御歳暮」という二大贈り物文化があるのだが、この風習が日本に住む欧米の方々にはなかなか理解されないと昔何かの本で読んだことがある。更に最近の若い世代では経済的な問題もあって、御中元も御歳暮も取りやめにする家庭が増えていると聞く。確かに贈り物を受け取れば、返礼としてこちらも何かを贈答するわけで、そのような言わば物々交換は貨幣経済の考え方からすれば非効率的かつ古典的で、理解不能ということなのかもしれない。でもこの「物々交換」、決して捨てたものではないとぼくはおもっている。
 何時の頃からか所謂「カタログギフト」なるものが登場し、御中元や御歳暮の品として届くことも稀ではなくなった。初めてこれを頂いた時にはその珍しさも手伝い、カタログと睨めっこしつつ、あれが良いか、いやこれもなどと楽しかったことを覚えている。しかし何故だか最近は興醒めというか、正直に言ってあまり感動しなくなってきた。頂きものをしながら、あまり有難さを感じないのでは大変失礼だが、事実そうなのだから仕方がない。何故このようなことになるのかを少し考えてみた。
 贈り手としてはせっかく贈るのだから、受け手に満足してもらいたい。どうせ同じお金をかけるのであれば受け手が欲しいものを自由に選べれば合理的だし、贈り手もあれこれと品選びで頭を悩まさずに済むから一石二鳥だというのがカタログギフトの基本コンセプトだろう。ところがぼくの経験上、カタログを見ながら迷った挙句に注文する品に大満足したことは残念ながら殆どない。何故ならこの時、「一度は食べてみたいけれども、自分でお金を出して買うまででもない」品物、たとえば一流ホテルのデザート詰め合わせ等をついつい選んでしまうからである。期待しながらもきっとあんな味だろうなと思いつつ、やはりその通りだったりするとがっかりして、あっちのサラミ詰め合わせの方が良かったかしらなどと思うのがオチなのである。何故そうなってしまうのか。実のところカタログギフトは特殊な商品券なのであり、つまりはお金なのだ。パチンコや宝くじなどで労働の対価としてではないお金が偶然手に入った時、ふつうの感性を持つ人は多少落ち着きを失うのが常である。そしてその時人は往々にして普段なら見向きもしないような、本当に必要かどうか疑問の余地を残す物に散財してしまいがちになる。そう、昔から言われるところの「泡銭(あぶくぜに)」であり、これを手にした人は一刻も早く、ぱっと使ってしまいたくなるものなのだ。一方で送り手が住む土地の名物などが贈られてくると、仮にそれが自分の苦手な食材であったとしてもやはり嬉しくて、試しに一口食べてみたりする。その結果自分の食わず嫌いであったことがよくわかり、一転して大好物になるなんてこともあるのだ。贈り手がその品を購入した、つまりはお金を払ったことには違いが無い。しかしお金そのものを贈ることと、贈り手が時間をかけて選び購入した物を贈ることとの間には千里の径庭がある。お金には運ぶことが出来ず、物にしか運べないものがある。それは果して何か。
 簡単なことである。贈り物が受け手に運ぶものの正体は、相手に対する気遣いや思いやりだ。そのメッセージを文字起こしすれば、「ふだんはご無沙汰しているけれども、あなたのことを決して忘れてはいませんよ。これから暑くなるので、体調を崩さないようにね。これ美味しいから、ぜひ食べてみてね。」とでもなるのだとおもう。つまり贈る品物の多寡や価値が大切なのではなく、その品物を選んだ送り手の想いや、選ぶために費やした時間に本当の意味があるのだろう。受け手のことを考えつつ贈り物を選ぶ。贈られた人はお返しに、自分もまたその人のことを想いつつ品物を選ぶ。ここで交換されているものは確かに物質的なものではあるけれど、その本当の正体は相手への想いなのだ。
 人は一人では生きていけない。必ずや何らかの形で他人のお世話になっている。有形無形のお世話に対する感謝を表する機会として先達たちは贈り物の文化を育て上げてきたのだろう。この文化を不景気だからとか、品選びにかける時間が勿体ないからといった理由で無くしてしまうのはとても残念におもうのだが如何であろうか。