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大きなプラタナスの木の下で

 仙台でも本日桜の開花宣言がなされました。毎朝の散歩コースにある枝垂れ桜もほころび始め、レンギョウはその黄色い花が満開です。ウグイスの声が響き、まさに春爛漫です。

 今回は散歩中に出逢った事柄から考えを進めてエッセイにしてみました。

 つい最近のことである。自宅周辺の道路に植栽されていたモミジバスズカケノキ(通称プラタナス)が全てバッサリと伐採されてしまい、残された無残な切り株を見つめて茫然とした。ぼくが住む住宅地の造成は昭和40年台前半だから、樹齢かれこれ40年以上にならんとするプラタナスたちは最近漸くその幹も太くなり、まだまだこれから巨木に成長するはずなのに何と無体なことをするのかと憤りを感じ、ブツブツと文句を言いつつ朝の散歩を継続する毎日が続いていた。
 次はある日の夜のこと。東京のとある場所に計画されていた保育園の建設が周辺住民の反対にあって頓挫したとのニュースをちらっと見て、これでは日本の少子化現象に当分歯止めは掛からないだろうなと夫婦で嘆息。連れ合い曰く、「自分たちだって子育て中、お世話になったでしょうに、なんで反対するのかしら?」と鼻息が荒い。
 さてプラタナスは明治時代に日本に輸入され、東京を中心に植栽が進み、瞬く間に街路樹としての地位を確固たるものにした。一時は全国に植栽される街路樹のナンバーワンを射止め、その後しばらくの間トップ5に君臨した樹木である。成長が早く、車の排気ガスにも強いタフな木故に新興住宅街の街路や幹線道路の街路樹として人気が高かったようだ。ただしこの性質が仇となり、頻繁の剪定を要することや落ち葉の処理に手がかかること、つまりは維持管理にお金がかかるという理由から近年どんどんその数が減らされている。そのことを知った上でもやはりバッサリ切っちゃうのはどんなものかと思い、「植物だって生き物だぞ、こんな酷いことをしたらきっと罰が当たるから覚悟しておけよ。」などと心で毒つく日々だった。
 ある朝犬たちと散歩していると、プラタナスの切り株はきれいに除去され、その後にはツツジが植栽されていた。なるほど、常緑広葉樹の低木なら剪定も不要だし落ち葉の処理も要らず、低コストということか。それでもやはり個人的な感想としては、緑陰を楽しむことのできる高木があった方が断然良いと思っていたのだが、散歩中に出会った方とお話をしていて納得することがあった。ご自宅の正面に街路樹のプラタナスが植栽されており、その成長と共に根が張って自宅前歩道のアスファルトを波打たせるほどになっていたこと、そのおかげでブロック塀も傾きつつあり危険になったこと。そして毎年秋の落ち葉の処理は誰も手伝ってくれず、負担になっていたこと。長年の苦情に漸く行政が反応してくれたということ。
 そう、人は物事を一面からしか見ずに判断してしまうことがとても多い。自分の意見を持つことはとても大切だが、常に他の考え方が無いか否かを探る態度は更に重要なことだと思う。プラタナスの件について、いくら植物好きなぼくにしても、自宅に損害が及び、毎朝落ち葉掃きを延々と余儀なくされれば、やはり苦情を口にするであろうと反省した次第。そうなると先のテレビニュースで流れていた保育園建設計画頓挫のニュースも別な一面から考える必要があることに思い至った。子供は国の宝で、少子化にあえぐ我が国にとって保育園の整備は大切だ。でも自宅のすぐそばに保育園が建設され、これからエンドレスで子供たちの嬌声や泣き声、送迎車の騒音に晒されることを考えると、反対を表明する近隣住民を一概に非難することは出来ないなと思った次第。
 今国内の様々な事柄に関する議論は、悪意に満ちていると言えば良いのか、下品というべきなのか、とにかく乱暴だ。特にインターネット上には嫌韓国嫌中国論、ヘイトスピーチ、陰謀論などが溢れている。少しでも意見を異にする書き込みがあると、過剰と思われるほどまでの反応を示して罵詈雑言が並べられ、相手の人格を否定するような言葉で溢れる。インターネット上で活躍する人々はみな、如何にして相手を論破して叩きのめすか、あるいは自分の言うことに賛同を示さない人を無能者として蔑み、排除することに躍起となっているかのようだ。でも本当にそのままで良いのか、もう少し冷静になって考えてみることが必要だ。人間は一人ひとりみな異なる感性、価値観、意見を持つ。同じプラタナスの木を観ていても、感じ方はその人それぞれ異なって当たり前なのだ。ある事柄に関して意見が対立した時に何よりも大切なことは、相手を如何にして論破するかのディベートテクニック鍛錬では断じてなく、相手の意見をきちんと聞いて吟味することが出来る余裕を心に持つことだと思う。違う考え方があることを認めてお互いに歩み寄る不断の努力を続けることこそが、この世に溢れる種々の対立を解決するただひとつの道なのだと思う。
 実はプラタナスは医学と深いかかわりがある。医聖ヒポクラテスがかつてプラタナスの巨木の緑陰で医学の講義をしたという伝承がある。加えて数多くの哲学者がその木陰で思索を深めたとも言われる。ぼくの住む住宅地のプラタナスは切られてしまったけれど、大学の構内や小学校の校庭にはまだ大きなプラタナスが残されていることだろう。それらを訪ねて、その緑陰でしばし沈思黙考すれば、ぼくの知的レベルももう少しアップするかなあ。

 参考文献:「街路樹を楽しむ15の謎」 渡辺一夫 著 築地書館