トピックス

ぼくの読書論

 寒中お見舞い申し上げます。今年は今のところ雪がそれほど多くない仙台ですが、昨年は2月に大雪が降りました。今年はどうなるでしょうか。
 インフルエンザ大流行中です。不要不急の外出はなるべく避けて、どうしても出かけなければならない時にはマスクの着用を忘れないようにしましょう。受験シーズンの幕開け、体調管理には気を遣いますね。先日行われた大学入試センター試験の問題が新聞に掲載されており、「世界史」の問題に挑戦してみましたが、さっぱりちんぷんかんぷんでした。歴史を知ることは大切ですから、勉強し直そうかと本を開きましたが、すぐに眠くなってダメでした。

 今回は「本」に関するエッセイを書きました。50歳にもなると、なかなか新しいことが頭に入らなくなってきますが、幾つになっても「知ること」にはどん欲でいたいと思います。

 数少ない趣味の一つに「本」がある。「読書」と書かずにわざわざ「本」と書いたのにはもちろんれっきとした理由があるわけで、実は書棚に並んだ本、机の上に平積みした本、はたまたトイレに置いてある本、それらの半数はまだ、読んでいない。装丁が気に入ったり、手触りが良かったり、そして何よりも書名に惹かれると、つい購入してしまう。あるいはその時節の流行や時事問題を知りたいと思うと、関連書籍を次々と「大人買い」してしまうので、ぼくの部屋はいつも本で溢れている。見かねた妻が開院十周年のお祝いにと立派なスライド式書架を二台もプレゼントしてくれたのだが、それらは早くも一杯になりつつある。このような事情に鑑み、最近文庫本や新書はなるべく購入せず、電子書籍を利用するようにした。Kindleというものを利用しているが、なかなか便利で、特に気になる文章に赤線を引く感じでチェックできるところがとても良い。紙の本だと直接書き込みするのに少し気が引けるものだが、電子書籍は自由に書いたり消したりできるので有難い。さてそれではこれから将来、紙の本は電子書籍に駆逐されてしまうのだろうか。恐らくそうはなるまいと思うに至った経緯を今回は書いてみることにした。
 電子書籍ではソフト(コンテンツ)をインターネット経由でダウンロードするわけだが、その際当然のことながら自分が欲しい、読みたいと思うコンテンツを名称指定して購入する。新聞の書評欄やテレビで紹介された本の名前を直接入力して検索し、ヒットすれば購入するわけだ。このことは紙の本でもAmazonなどのネット書店を利用して購入する際には同様で、欲しい本を自宅に居ながらにしてワンクリックで注文できることがネット書店の最大利点である。ところが電子書籍にせよネット書店にしても、自分が欲しいと思った本を入手することには長けていても、そこで今まで全く興味が無かった分野の本を見つけることは難しい。なるほど自分が購入した本を参考にして、あるいは同じ本を購入した人が同時に何を購入したかなどのデータを元に、他の書籍を紹介してくれることはあるが、あくまでも購入した本と何かしら関連がある書籍しか紹介してくれない。書店内を歩いているうちに偶然ふと目に留まって手に取ってみて瞬間的に気に入るという、いわば運命的な出会いの創造は電子書籍やネット書店ではそのシステム構造的に出来ないようになっているのだ。
 自分が欲しい本しか手に入れられないということは、知識を広める上で致命的な欠陥である。何となれば即ち欲しい本というのは、その大概が自分の興味のある分野、つまりは自分が既に何かかしらは知っている分野に関するものだから。見聞を広め、自分の知的レベルを一段高めようと思い願う際にまず心掛けるべきことは、この世の中には自分が全く知らないことが数多あるということを素直に認めることである。その際自分が何を知っていて、はたまた何を知らないのかを知る最も良い方法は、やはり大量の本が置かれている場所に身を投じることだと思う。つまり大きな書店や図書館だ。いや現代はインターネットが発達しているから、わざわざ図書館などに行かなくてもネット検索を繰り返せば良いではないかとの反論が聞こえてきそうだが、ネット検索には少なくてもキーワードが必要で、そもそもそのキーワードすら知らない事柄を検索することはやはり構造的に出来ない相談なのだ。
 新しい本との出会いを作り出すためにはいくつかのコツがある。第一に、時間に余裕を持つこと。会合までの時間つぶしだとか、電車待ちの時間など、時計を気にしながらでは満足する出会いは望めない。休日を利用して、本屋巡りだけをその目的として出かけたい。時間を気にすることなく、陳列されている書架の間をあたかも小舟が波間に遊弋するがごとくふらふらと彷徨うのが良い。そうしていると、不思議なことに程なく数多並ぶ本の中に、何故だか目の留まる一冊を見つける。それは装丁の奇抜さだったり、面白い書名であったりがなせる技なのかもしれないが、中には何故この本が目に留まったのか良く解らないものもある。何年も後になってその本を読んだ時、非常に感動し、何故自分がこの本を選んだのか一向に解らないという体験は一度や二度ではない。さて、これぞという本に出会ったら、手にとってパラパラとページをめくりながら、目に着いた一文をざっと斜め読みする。そうすることで著者の言葉遣いなどから、自分に読みこなせるかどうか、大体のところが解るものである。少しでも心に残るようなら、即購入を決める。この際値段を考慮したりはしないようにしたいから、懐を豊かにしてから本屋さんに出かけることが第二のコツかもしれない。
 というわけでぼくの部屋には未だ読んでいない本が溢れる結果になるのだが、紙の本は書架に並べ、あるいは机上に積んでおくだけでも立派に働いてくれる。昔押し花標本を作った時に、「重し」として百科事典はたいへん重宝した。まあそれは冗談にしても、まだ読まれていない本は、文句ひとつ言わずに何時まででもじっと待っていてくれる。毎日それらを目の当たりにしていると、あの時自分が何を想いこの本に惹かれたのかとか、学びたいと思った事柄を再確認することが出来る。その上で、何とか時間を作って読破しようと再び決心するのだ(実際はそれでも読まないことの方が多い)。とにかく長い年月をかければきっと少しずつでも読み進み、着実に自分の知的水準を高めることが出来る。仮にそうできなくても、うずたかく積まれた本を読破して今よりも少し知的になった自分を想像しながら毎日を過ごすことは、何らかの前向きな好影響を自分に与えてくれるように思えて楽しい。これを「積読(つんどく)」と称するのだが、この「積読」が電子書籍には出来ないのだ。電子書籍で「積読」をするためには、毎回電源を入れてコンテンツ一覧を確認する必要があるから。ふと何気ない瞬間に何度も目に入ることが「積読」の要点であり、それを考えると少なくてもぼくにとって紙の本は今もこれからも必要不可欠なものだと思えるのだ。そしておそらくこのように考える人は数多おられるはずで、それこそが電子書籍を以ってしても紙の本を駆逐することは今後も無いであろうと考える所以である。