トピックス

「落ち穂拾い」に想う

 寒い日が続きます。本日今季二例目のインフルエンザを確認しました。そろそろ本格的に流行が始りそうです。予防接種をまだ受けておられない方、お急ぎください。当院のワクチン在庫はほぼ無くなりつつあり、今週中には接種を終了する予定です。接種ご希望の方はお手数ですがお電話にて在庫を確認の上、ご来院ください。

 今回はミレー展で「落ち穂拾い」を観賞しながら考えたことをエッセイにしました。

 先日の休診日を利用して、生誕200年を迎えるジャン・フランソワ・ミレーの作品を集めた展覧会を観に宮城県美術館を訪れました。
 ミレーの絵画として知っていたのは有名な「晩鐘」「種まく人」など農村で働く人々をモチーフにした風景画でしたが、画家キャリアの初期にはかなりの数に上る肖像画を描いていたことがわかり、とても参考になりました。どの肖像画も魅力的でしたが、中でも部屋着でリラックスしている妻、ポーリーヌの姿を描いた作品に引き込まれました。柔らかな笑みと佇まいからその知性の高さを想像できましたが、じっと見ていると何となく翳を感じます。実は結婚後数年でポーリーヌは結核でこの世を去っています。恐らくミレーはこの肖像画を描きながら、ポーリーヌの表情、仕草の中に死の影を認めていたのでしょうね。対照的なのは後妻となったカトリーヌの肖像画です。こちらは肩まで伸びる髪、胸をはだけた姿にエロティックな印象を受けます。ミレーは周囲からこの再婚を反対されていたらしく、正式に結婚するのはずいぶん後だったとのこと。でもきっとすごく魅力的な女性だったのでしょうねえ、カトリーヌとの間には子供がたくさん生まれています。
 ある時期からぱったりと肖像画を描かなくなって、パリ郊外のバルビゾンに移住してからはおなじみの農夫と農村風景を描いた作品が増えてきます。牛飼いや羊飼いの表情を見つめていると、笑顔ではない。どことなく影のある、何か達観したような雰囲気を持つ労働者の顔なのです。「仕事は大変だよ。でも食っていくためには仕方がないからね。」とでも言いだしそうな顔つき。描かれている人達は皆がっしりとした体格で、バターを作る女性の二の腕など、筋肉隆々です。体を使って働く人間は美しいとつくづく感じました。子供たちにスプーンで食事を与えたり、赤子を抱いて世話する母親のモチーフも多いのですが、注意深く見るとその背景にはお父さんと思われる男性が一所懸命に畑仕事をする姿が描かれていたりします。働いて、妻とともに子育てをしながら日々を淡々と過ごす。これこそが古今東西を問わず人間のあるべき基本の姿なのかなと感じ入りました。
 「落ち穂拾い」はあまりにも有名ですが、背景にはうずたかく積まれた麦穂の山と男たちが描かれています。落ち穂を拾うのは未亡人や貧しい母たちなのでしょう。大地主は大量に収穫して富を得ますが、決して独占はしない。少なからぬ量の落ち穂を放置して、貧しい小作の民たちが拾うに任せたのでしょう。大地主も小作農達も、その土地にしがみついて生きている。どちらも無くてはならぬ存在で、お互いに感謝しつつ何代にもわたってその土地で生きて行く。土着という言葉を思い浮かべました。昔の豪農や庄屋はきっと意図的に「落ち穂」をたくさん残したのだと思います。もちろん中には悪党も居たでしょうが、自分たちの豊かな生活は大勢の小作農や使用人が居るからこそ成り立つとの謙虚な思いを持った人の方がむしろ多かったのではないでしょうか。
 ですからどこかの党首が言う、まずは大店が潤沢な富を得て、そのおこぼれが周囲をも潤すとの考えはあながち間違いではないようにも思えます。しかし大切なことが見落とされている。残念ながら今の日本にはもはや土着の大店など存在しないのです。「日本が原発を再稼働せず、今後も高い電気料金を課されるのなら、わが社はさっさと工場を閉鎖して海外に拠点を移すまでのことです。大切なのはあなたたち日本人の生活ではなく、あくまでも株主の利益ですから。」とクールに流暢な英語で言い放つ存在、それが所謂グローバル大企業というものです。高性能の刈り取り機で一網打尽に収穫し、ごく僅かに残された落ち穂さえも掃除機で吸い上げていくようなイメージでしょうか。多少人件費が高くても、英語が話せなくても地元の人間を雇用しようとか、電気料金が値上がりしても日本の自然を守るために原発廃止に賛同しようと考える大店はもはや存在しない。残念なことです。
 あと一週間もしないうちに衆議院選挙が行われます。事前の調査ではこの選挙に対する関心は極めて低い。自公民が圧勝し、単独過半数はおろか絶対的な安定多数に達する見込みのようです。でもどうでしょう、「この道しかない」って本当でしょうか?このまま進んでいって、行ける所まで進んでみたら落ち穂はおろか、草一本生えない荒涼とした砂漠だったなんてことは無いでしょうね。
 名画を鑑賞するといつもとても豊かな気持ちになるものですが、今回のミレー展では「落ち穂拾い」を前にしてこのように色々と考えてしまいました。芸術鑑賞の時くらいは穏やかな心情でいたいものですが、なかなか難しい今日この頃です。