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「震災遺構」に思う

 今日も冷たい雨が降っています。何だか気分が滅入ってしまい、朝のお散歩をサボってしまいました。
 例年に比べて一足早めにインフルエンザの流行が始ったと報道されました。予防対策(うがい、手洗い、マスク着用そしてワクチン接種)をしっかりとしましょう。

 今回は「震災遺構」について考えてみました。

 先の震災で大破した南三陸町防災対策庁舎の残骸を「震災遺構」として残すように宮城県の有識者会議が提言をまとめた。「震災遺構」が無いと東日本大震災の記憶が徐々に風化していくことを懸念してとのことだが、どうも腑に落ちない。人間は元来忘れる動物である。どれほど悲しく辛い出来事を経験しても、多くの場合時間と距離がその傷を癒すものだ。もし我々が体験したこと全てを逐一何時までも覚えていたとしたらどうであろうか。嫌な想いをした人、場所、状況を何時までも覚えている人がいたとしたら、その人は恐らく早晩精神に破綻を来すことであろう。嫌なことも辛いこともじきに忘れることが出来るから、我々は日々を元気に暮らせるのではないだろうか。先の大震災は確かに大きな悲劇であった。そのことを否定するつもりは毛頭無い。だがしかしその悲しい記憶が時間と共に薄れて行くことは人間にとってむしろ当然のことであり、薄情だとか怠慢と言われる筋のお話ではないと思う。忘れるということは自然が人間に与えたとても大切な能力の一つではないのか。辛く厳しかった日々を忘れることが出来、漸く深い悲しみから立ち直りつつある人に対して「震災遺構」をむりやり見せつけ、あの悲劇を忘れてはいけないと声高に叫ぶ必要性が果してあるのか否か正直疑問に思うのだ。
 鉄骨だけがむき出しになった防災対策庁舎の残骸を眺めて、人々がどのように感じるものか考えてみた。なるほど「震災遺構」がそこにあると知れば、今後観光客や修学旅行生が立ち寄り、ガイドさんが語る地震や津波の恐ろしさに耳を傾けることになるのであろう。昔この場所を襲った大地震と大津波によって命を落とした人たちのことに想いを馳せ、静かに涙する人も確かに居るであろう。でも訪れる人の大半は観光気分なのではと危惧する。場合によっては土産物屋さんが軒を連ねて、ちょっとした観光スポットになるのかもしれない。震災の被害を逆手にとって、今や「震災遺構」を看板にする観光地として復興を遂げた被災地との名が通るとすれば、それはそれで南三陸町のためになると考えれば良いのだろうか。しかし漸く悲しみを乗り越えて立ち直りつつある人が居たとして、その人があのむき出しになった赤錆の付く鉄骨を見るたびに当時を思い出し、悲しみを新たにするとしたらどうだろうか。あまりにも優しくない態度ではないかと思う。
 「震災遺構」が無くても、あの大震災の記録は写真、動画に溢れている。どうしてもというのであれば、震災記録館のようなものを建立してそれらの記録を閲覧できるようにすればよいことだと思う。見たくもない防災対策庁舎の残骸を日々無理やり見せつけられて心を痛め、その早期解体を望む被災者が一人でもいるのであれば、ぼくはそちらに与したいと思う。