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グローバリズムが食にもたらすこと

 今朝はとても涼しく、すっかり秋めいてきました。夏の間暑さのために元気のなかった犬たちも、こころなしかその足取りが軽くなってきました。今日から学校も再開でしょうか、通学する生徒たちの姿が戻ってきました。

 今回はちょっと違った視点から食事と運動を見直してみましたので、お付き合いください。

 今年の夏は暑いなあと思っていたのですが、やはり東北の夏は短い。秋風を感じ、虫の鳴き声を聴くこの頃になると、いつも何とも言いようのない寂寥感を覚えます。また冬が来る。時の流れは年々と早くなり、あっという間にまた一つ歳を取る。年を重ねてより賢くなる訳でもなく、ただただ馬齢を重ねるのみの自らにため息交じりの今日この頃です。それにつけてもこの度の広島県における土砂災害、犠牲者多数で心が痛みます。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。何でもかんでも地球温暖化のせいとは思いたくないのですが、確かにここ数十年で日本の天候に変化があったことは実感しています。一言で表してしまえば気象の劇症化でしょうか。昔の日本では考えられなかった竜巻や、あたかも熱帯のスコールのような短時間の集中豪雨。気象環境の変化は今後もゆっくりと進み、今後も各地で災害が増えるのかもしれません。自然災害をただ徒に恐れていても仕方がありませんから、我々一人ひとりが自分の身は自分で守るとの心構えで備えるしかなさそうです。多少大袈裟と思われても、強い雨や風の日には外出を控え、場合によっては早めに避難する。心に少しでも危ないかもといった疑問符が湧いた時には、その直感を大事にして従うこと。今回も決して少なくない人々がいつもと異なる匂いや音などから漠然と危険を察知して事前に避難し、事無きを得たと聞いています。この「危険を直感する能力」の涵養が現代人にとって喫緊の課題ではないかと思うのです。
 現代社会はありとあらゆる自然現象を如何にコントロールするかをその大きな目標として発展してきました。冬には暖かく、夏は涼しく。栽培技術の進歩と食糧輸入量増加の結果、食べ物は年中スーパーに溢れ、もはや「旬の食べ物」などといった概念は失われつつあります。「旬の食べ物」はただ単にその時期に美味しいからというだけではなく、その季節に不足しがちな栄養素を過不足なく摂取できるように我々の体が代々にわたって編み出してきた経験知です。暑くて消耗してきた体が、さっぱりとして酸味のあるトマトや糖分と水分を豊富に含むスイカを欲するのです。いわば体が発するメッセージを素直に受け取り、それを大事にしてきたのが「旬の食べ物」の文化です。ところが現代は真冬でも夏野菜は入手出来るし、魚も全世界から輸入されるので、いつでも季節に関係なくどんな種類でも食べることが出来る。昔は旬を外れた食べ物は「きわもの」と呼んであまり好まれませんでした。それは旬を外れたものを食べていると、きっと我々の体に何かしら変調を来したからだと思います。我々のご先祖様はきっと季節の移り変わりに現代人よりもずっと敏感で、加えて自らに起こるごく小さな体調変化にもより敏感であったに違いありません。体が欲するものを必要なだけ十分に摂取する、それ以外は食べない。体が呟く小さな声を聞き取れていれば、現代人が抱えるような過食、肥満は起こり得ないと最近思うようになりました。現代にあっても我々の体は昔同様、きっとメッセージを発しています。でもそのメッセージはとても弱いものなので、ノイズが大きいと聞き取れない。そのノイズは冷暖房完備の環境、いつでもどこでも同じ味かつ高カロリーのファストフード、24時間営業のコンビニ、季節感のない服装、インターネットを通じた情報の氾濫などなど実に様々な物事により増幅されているのです。
 更に自動車や飛行機に代表される高速移動手段は、我々の行動範囲を非生理的なレベルにまで拡大しました。本来動物は自らが持つ能力で移動できる範囲内で暮らすべき存在です。ところが今はどうでしょうか。都会では毎日平気で何十キロも通勤している人が居るのです。これは生物にとっては極めて異常なことです。獲物を深追いして、自らの脚で巣に戻れなくなるまで走った肉食獣を待つのはただ一つ、死です。高速道路も地下鉄も、もちろん便利です。しかしその利便性と引き換えに人々はほとんど歩かなくなり、その結果体力が落ち、長距離を歩けなくなりました。歩けない人々は、ひとたび災害で鉄道インフラ等がやられてしまうと、途端に難民化します。先の東日本大震災でも東京で帰宅困難者が多数出現したことは記憶にまだ新しい。あれが真冬であったのなら、もしかすると凍死する人が出たかもしれません。超高速移動手段を得たことで我々は自らの能力の限界を見失い、非生理的な距離の移動をするようになったのです。加えて歩行を放棄した結果、木々の芽吹きや開花、その紅葉や果実の熟成など季節の移ろいに無頓着となり、あるいは雲の種類から雨を予測する経験知や食用になる草や実、そして災害の前兆となる山鳴りや臭気、ひいては動物の異常行動に関する知識からまでも決定的に遠ざかってしまいました。
 食べ物に無頓着となり、極端に運動不足の結果出来上がった我々の体はたるんで、鈍感なものになっています。これでは体調の微妙な変化に気付きようがありません。まして自らの身に迫る危険を漠然とした不安感として察知するような高等な技を期待するべくもありません。さてそれならどうするべきなのか。やはりまず取り組むべきは食の改善です。日本人は元々農耕民族ですから、元来お米を食べて暮らしてきた。一汁一ないし二菜で良いのです。きちんとお米を炊いて、お味噌汁を作る。おかずは焼き魚ないしは煮魚に季節の野菜をお浸しにして添えたい。その他の蛋白源としては大豆、つまり煮豆や豆腐を利用すれば十分です。お米自体が糖質のほか蛋白質も含む栄養バランスに優れた食品ですから、昨今糖質制限など極端なダイエット方法で忌避されることは残念この上ないことです。毎食凝った料理を用意する必要はありません。ただし出来る限り、その季節の旬の食材にこだわって欲しいと思います。次に取り組むべきはやはり規則的な運動です。毎日短時間で良いから、必ず散歩する。例外を作らない。寒いから、暑いから、雨が降っていたから、寝坊したから等、我々は出来ない理由は数え切れないほどに挙げますが、30分程度の時間を作ることが出来ないはずは無いのです。千里の道も一歩からと言いますが、何かをとにかく継続することの大切さを我々はもっと知るべきだと思います。どんな小さなことでも良いから、とにかく例外を設けずに継続することが人間の修養としての第一歩であることは、かの新渡戸稲造先生がその著書「修養」で述べられていることでもあります。毎日決まった時間に決まったコースを歩いていると、誰でも周囲の変化に敏感となります。木々の新緑、開花、結実に紅葉も初めて見えてきます。風の匂いと雲の動きから、数分後の雨も予想できるようになってきます。何となく漠然と次の角を曲がってみようと思い、歩いていくと綺麗な花が咲き誇っていて感動したり、ある時は財布を拾って交番に届けたりします。逆に何故だか知らないが、今日はこの道を行くのを止めようと頭に浮かぶ場合もあります。きっと本来人間には快適なことと危険なことをある程度事前に察知する能力が備わっているのだと思うのです。高名な哲学者イマヌエル・カントは毎日決まった道を決まった時間に散歩することで有名でした。散歩道沿いに住む人々は、時計ではなくカントの姿を見て時間を知ったとも言われています。強迫的とも思われる行動ですが、毎日精密機械のように同じ生活を送っていたからこそ彼の感性が研ぎ澄まされ、微細な変化や心の動きに敏感で居ることが出来、その思索を深めることが可能になったのでしょう。
 我々はこれからいつまた未曾有の災害に襲われるのか判りません。人間の存在など、大自然の中にあっては実に小さなものであり、その脅威にはもとより対抗するべき手段など多くはありません。しかし人間も動物である限り、我々にも「危険を直感する能力」、あるいは「野性の勘」、少し科学的に換言すれば身を守るための危険予知センサーとでも言うべきものが備わっているはずです。そのセンサーの感度を最大限に上げるために必要なことは決して特殊なことではなく、単純に伝統的な「食」と「歩行」習慣であり、その感度を極端に低下させるものがファストフードに代表される画一化、簡略化された食事であり、テレビやインターネットだと私は思っています。この考えはそのまま糖尿病や高血圧に対する食事療法と運動療法に繋がるものです。もし我々が旬の食べものを過不足無く頂き、自らの脚で歩き続ける生活を昔のように淡々と継続できていたのであれば、今ほどの糖尿病蔓延は無かったはずです。今からでも決して遅くはない。旬の食材を取り入れた伝統的な和食への回帰と、自らの脚で移動する生活を取り戻すべきです。
 その観点からすると日本の農業を完膚なきまでに叩きのめす可能性を秘めた環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加は、日本人の食をその根底から破壊する危険性を孕んだものと思えてなりません。グローバル化というものは素晴らしいことでは決してありません。食生活におけるグローバリズムとは、端的に全世界の人々が皆同じものを食することを目指すことに他なりません。つまりお米とお味噌汁に旬の野菜などというローカルルールは一切廃し、日本人にも毎食ハンバーガーないしはステーキとフライドポテトを食べさせ、加えて甘いシェークを飲ませ、仕上げにケーキも食べさせることを最大の目標とすることです。「当社のハンバーガーは全国津々浦々どこに行かれても同じ味、同じ値段でご提供します。合わせてポテトとシェークをご注文いただければ、必要かつ十分な栄養を摂って頂けます。当社はグローバルな時代を駆け抜け、アーバンライフを楽しむソフィストケートされたあなたを応援します」などと訳の分からない横文字で煽り、日本独特の和食文化などというものはまさに古臭い「遺産」として時代遅れのものとして片付けたいというのがグローバリズムの本音です。決して騙されてはなりません。
 最後にもう一度繰り返します。日本人には日本人の体に合った食事と生活スタイルが存在します。それは一汁三菜(必ずしも三菜である必要はないのですが)と歩行です。さあ、美味しいお米とお味噌、そして旬の食材をぜひ調達しに出かけましょう。もちろん歩いていくようにしましょうね。