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ただいま休煙中

 初夏を通り越していきなり盛夏を思わせる暑い日々でした。身体がまだ暑さに順応出来ていないので、容易に熱中症になってしまいます。こまめな水分補給を心がけましょう。

 数日前、世界禁煙デーでした。タバコ、みなさんどう思っていますか?今回はタバコに関するエッセイを書きました。

 むかしの刑事ドラマでは石原裕次郎が渋く、カッコ良く煙草を吸っている姿に憧れた。古いアメリカ映画ではジョン・ウェインも、比較的新しいところではブルース・ウィリス演じる「ダイ・ハード」のジョン・マクレーンもうまそうに煙草を吸っていた。
 10代の最後にぼくも煙草を覚えた(もう30年も前のことだから時効ね)。煙草を始めた動機は、やはりカッコ良い大人の必要条件のように感じていたからだと思う。ひとりでバーカウンターに腰かけてウイスキーなんかを飲みながら、煙草を吹かす姿が大人の男だと勝手に思い込んでいた。今から思えばこの頃、ウイスキーなんて少しも美味しいと思わなかったし、煙草だってむせこみながら吸っていた。恐らく二十歳そこそこの男の子がそんな真似をしてみても全く絵にならなかったことだろう。つまりは見栄っ張りというか、粋がってみたかったということだと思う。でも習慣化というか、依存性は恐ろしいもので、ぼくも数年後には1日40本も吸う立派なヘビースモーカーになっていた。今でこそ医師の喫煙率はだいぶ低くなり、医学生に関してはさらに低いものと信じているが、ぼくが学生だった頃のそれはかなり高く、外科系の医師は半数近くが喫煙者だった。別に深く考えることも無く医学部を卒業するまで喫煙を続け、医師として勤め始めても尚白衣のポケットには煙草を入れて歩いていた。ある時病が癒えて無事に退院を迎える患者さんから、その当時愛煙していた銘柄の煙草を1カートンプレゼントされるに至り、「え、なんでわかるの?」という顔をしたら、「白衣のポケットから透けて見えた」とのこと。何だか無性に恥ずかしいなと思ったことが煙草を止めようと思った最初のきっかけだった。その後何度か止めたり吸ったりを繰り返しながらも、結婚して子供が生まれた時を機に煙草をお休みしたことは以前にも書いた。
 煙草を止めることはけっこう大変なことである。身体的のみならず精神的にも依存症が出来上がっているので、離脱症状に苦しみ、なかなか禁煙できない人が多い。だから最も良い方法は、最初から一本も吸わないこと、これに尽きる。この観点から考えると、最近は煙草のテレビコマーシャルも激減しているし、何処に出かけてもほとんどが完全禁煙の場所ばかりだから、若い世代が煙草に手を出す機会はだいぶ少なくなっていて好ましい。でもそんなことよりも、今の若い人たちにとって煙草がもはや「カッコいい」アイテムでは無くなったということが事の本質だとおもっている。今の若い人たちにとってカッコいいのは、サッカー選手など、フィジカルに鍛えられたスポーツマンであり、ダボダボの学生服を着崩して煙草を吹かすような輩は、むしろダサいのだ。時代は変わるものである。これからも煙草を吸うということがカッコよさを取り戻すことはたぶん無いから、放っておいても喫煙歴はどんどん下がるとぼくはおもっているのだが、甘い予測だろうか。
 それにつけても「煙草は体に悪いから止めろ」というメッセージはあまりに正当で、なかなか正面切って異論を唱えることが難しい。喫煙者の肺がん罹患率が増えること、心筋梗塞や脳梗塞その他の動脈硬化性疾患とも関連が深いし、慢性閉塞性肺疾患いわゆる煙草肺も多いことは事実だ。だけど、ぼくはどうしても筋金入りの嫌煙者にはなれない。だって実際に煙草というのはうまいものだから。ぼくは今でも時々、ああこんな時に一服したら至高の時だろうなと思うことがある。もちろん周囲への配慮は大切で、歩き煙草やらパブリックスペースでの喫煙が許されるとは思わないが、自宅の一室でなら良いかしらなどとしょっちゅう思っている。だから喫煙する患者さんに対して、「次に受診するまでに禁煙して来い!禁煙できないなら、来る必要なし!」なんてことは決して言わない。もちろん煙草が病気を悪くする可能性があることは知っておく必要があるから、禁煙のメリットに関して一通り説明はする。しかしその後喫煙を止めるか継続するかは完全に個人の自由というか、専権事項であり、患者さんが煙草を止めるか否かでぼくの診療態度に変化があってはならないと思っている。病気には多種多様の理由があるはずで、現代医学はそれらすべてを解明できている訳ではない。いや、むしろ煙草のように病気との因果関係がはっきりしているものの方が少ない。だから煙草だけを取り上げて徹底的に糾弾することは、なかなか思うに任せない慢性疾患治療にいら立つ医師が取るヒステリックというか憂さ晴らし的な行動に見えて、強い違和感を覚えてしまうのだ。加えて禁煙した医師はその後筋金入りの嫌煙家になることが多く、未だに煙草を止められない人へ向ける眼差しには蔑みの色が滲む。自分は困難な禁煙を達成したエリートで、止められないあなたとは違うのだといった差別観がありありと見てとれる。困ったものである。
 そもそも人は体に悪いと知っていても運動不足を改めようとはしないし、過食も止めない。夜更かしだって、毎晩のように浴びるほど飲む酒だって、あるいは不特定多数とのセックスだって止めない。そういう存在が人なのである。「病気になったのはあんたの悪い習慣が原因だ。そんなこと分かっていただろう。自己責任だな。」と医師が言うのは実に簡単。まずこの言葉でガツンと先制攻撃をしかけ、以後患者との関係を有利に進めたいのが医師の本音。正直に申し上げて、現代の医学をもってしても病気の大多数は完全治癒しない。治るのは単純な怪我と風邪くらい。慢性疾患と呼ばれる数多くの病気は文字通り慢性の経過を取って、死ぬまで治らない。患者さんも辛いが、治らない病気をずっと診続けなければならない医師も辛いのだ。その辛さから逃れるために、つい患者さんの悪習慣をやり玉に挙げることになる。「治らないのはあんたの悪習慣のせいだ」というのが実に楽で簡単な説明。だけど酒も飲まず、車にも乗らず、毎日10000歩欠かさず歩き、それでも足りずにフィットネスクラブで汗を流す。そんな聖人君子みたいな人って居るだろうか。少なくとも現場の大多数の医師は圧倒的な運動不足、睡眠不足でストレス過剰、常に疲れた顔をして不機嫌だ。つまり不健康この上ないのが医師というもの。自分だって出来ないことを、訳知り顔に説くことにはどうも抵抗を感じるので、ぼくはそうしない。むしろ「2週間禁煙していたのだけれど、昨夜ついやけ酒をしこたま飲んで、もらった煙草に火を着けてしまった。その後はもうどうでもいいやと思って朝まで一箱吸いました。」そんな話を外来で何度も聞くたびに、ああ、人間らしくていいなと思うのが本音なのだ。
 誤解なきよう添えるが、喫煙を奨励するつもりは全く無い。むしろ痰がらみのしつこい咳を訴えながらもその原因としての煙草に考えを巡らせない人、赤紫色に変色して、触ってみれば氷のように冷たい脚を何とかして欲しいと言いながら、煙草だけは絶対に止めない人などを相手にした時、煙草を止めない限り良くはならないことをややきつくお話しすることも多々ある。ただぼくがおそらく他の大多数の医師と違う所は、情理を尽くして説得しても聞き入れられなければ、素直に諦める、ただそれだけのことだ。ああそうだよね。人の言うことなんて簡単に信じられないよね。よしわかった、それじゃあ次の手段を考えようねと涼しく諦めること、それが大切だと常々思っている。でもこちらも聖人君子ではない訳で、あまりにも言うことを聞いてくれない人ばかりだと、時々、いやけっこう頻繁に、「そんなことをしていると、今に取り返しのつかない事態になるよ!」といった呪いの言葉を心の中で呟いてしまうのも悲しい現実。残念ながらこの呪いは成就することがとても多く、その都度ぼくが自己嫌悪に陥っていることをご存じの方はおそらく居ないだろう。
 煙草は美味しいとおもう。厄介な仕事を片付けたあとの一服は格別だということも分かっている。ぼくももう少し歳を取ったら、また吸ってみたいとおもっている。でもその時は紙巻き煙草ではなく、キューバ産の葉巻かあるいはパイプ煙草にしてみようかな。そんなことをおもいながら書きなぐってきたが、けっこう過激な文章になってしまった。医師会関連の雑誌には出せそうにないので、自分のホームページにアップするのである。