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辺境の医院として

 早いもので今日で1月も終わります。年々時の経つのが早く感じるのは、それだけ年を取ったということでしょうか。新年の初めに立てた目標など、如何でしょうか?もはや断念している方も多いのではないでしょうか。明日からは2月。気持ちを新たに臨みましょう。
 今年もインフルエンザの流行が始りましたが、現時点では例年に比べると小規模なものに留まっています。むしろ全国的にノロウイルスの感染が未だに多いようです。感染症予防対策の基本は、おなじみのうがい、手洗い、マスク着用です。また、不要不急の人ごみへの外出はなるべく避けることが得策です。

 昨年秋に東北薬科大学病院誌へ寄稿した文を掲載します。この地域の中核病院である東北薬科大学病院を中心として当院のような辺境の医院が一緒になって地域の医療を担う、そんなイメージでしょうか。

 独立して診療所を開いてから早いもので10年が経過した。10年選手ともなれば中堅どころで、自信満々、威風堂々と思われるかも知れぬが、未だに日々これで良いのかと悩みながら診療を継続しているのが実情である。自分の提供する医療が果たして的確なものであるのか否か逡巡し、この患者さんは東北薬科大学病院に通院した方がずっと幸せではないかとの思いを抱くこともしばしばであるが、そんな内情にはお構いなしに立ち止まる寸分の余地も与えられずに次から次へと患者さんは紹介状を持って訪れる。自分に出来ることにはもちろん全力で取り組みたいと常に思っているし、自画自賛ではないが、それなりの医療は提供出来ていると信じている。しかし何故だか確固たる自信が持てない。もっと素晴らしい医療がお隣にあるのではと、ついきょろきょろしてしまう。何故なのか。
 その答えを内田樹氏の名著、「日本辺境論」に見つけた。この本の中で内田氏は日本人の気質を的確に表現している一文を梅棹忠夫の「文明の生態史観」から引用している。引用の引用となり、一部改変することになるが、お付き合い頂きたいと思う。「開業医にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の劣等感が常につきまとっている。それは、現に保有している医療水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく開業医全体の心理を支配している、一種の翳のようなものだ。本当の医療は、どこか他のところで行われるものであって、自分のところのそれは、なんとなく劣っているという意識である。おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にして一つの医療を展開することのできた病院と、その一大病院の辺境開業医の一つとしてスタートした診療所との違いであろうと思う。」つまりそういうことだったのか、すとんと腑に落ちた。当院は言わば東北薬科大学病院を中心とする広大な医療圏における辺境なのだ。辺境であるが故に本当の医療を求めて常にきょろきょろするしかない宿命なのだ。そうであれば、どれだけ時が過ぎても確固たる自信など身に付くはずも無く、いや、それで構わないのだ。辺境の民としては、たとえ自信が無くても、常に明るく輝く中心を目指してとにかく歩き続けるしかない。そう考えたらずいぶんと楽になった。
 東北薬科大学病院に名称変更となる際、ずいぶんと多くの患者さんから不安の声が上がっていた。それらの多くは従来の診療が縮小されるのではないかとか、新薬の実験台にされるのではといった根拠の無い不安であり、そのつど丁寧に説明してご納得頂いた。それだけ地域住民が貴院に寄せる期待は大きいのだということを再認識した次第である。医療はあくまでも公共のセーフティーネットであるべきで、採算性とか利益追求の観点で語るべきものではない。しかしながら実際に多くのスタッフを雇用する組織として当然経営は無視できない。その意味で貴院が選んだ道は正しかったのだと信じている。しかし不安が全く無いわけでもない。世の中に、「金は出しても口は出さない」というようなおいしい話がそうそうあるはずも無く、今後の経営状態如何によっては診療科、スタッフの削減などがあるのかもしれない。願わくは今後不採算部門を洗い出して統廃合するようなことがないように。小児科の撤退や泌尿器科の縮小が地域住民に与えた不安、失望と不信感は相当大きなものであったことを改めて指摘しておきたい。
 いつもたくさんの患者さんをご紹介頂き、もはや当院の存続は東北薬科大学病院なくしては危ういものだと理解している。当院から時間外、緊急時の診察依頼を行うことも数多く、そのほとんどを快く引き受けて頂けることにも心から感謝している。今後も貴院の辺境一施設として精一杯頑張っていくつもりであり、従来同様にご指導ご鞭撻をお願いする次第である。