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大人の医師を目指して

 昨年とある会誌に寄せた原稿です。

 私事であるが、今年は卒業後満20年を迎える節目の年である。この20年臨床一筋に生きてきた。どんなに鈍感な人間でも20年間同じことを継続してくれば何か一つくらいは見えてくるものがある。最近考えていることをお話したいと思う。
 しばらく前のことである。糖尿病と高血圧で通う男性患者に頚動脈エコーと頭部MRI検査を勧めたことがあった。脳血管疾患の診断治療では評判の高い仙台の病院を紹介したのだが、届いた返事を読んで強烈な違和感を覚えた。その返事曰く、「この患者は喫煙者です。喫煙を継続する限り、定期的な頚動脈エコーおよび頭部MRI検査は無意味ですので、次回ご紹介いただく際には禁煙後としてください。」とあった。この返事に対して、喫煙は国家が成人に認めた行為であり、行き過ぎた禁煙ムーブメントは如何なものかという反論がすぐに浮かぶが、僕が抱いた違和感の原因はそこにはない。そうではなくて、この返事を書いた医師の心の底流に潜む、自己責任論的な考え方に同意できないのだ。喫煙を止めるように一所懸命指導をしても、最終的に聞き入れられなければその後はどうなろうと患者の責任で、あとは検査も診察も不要で我感知せずとする考え方には簡単に同意できない。医療はセーフティーネット、文字通り人が転落死しないようにあるべきもので、それならば喫煙者であろうがアル中であろうが、はたまた麻薬中毒者であっても見捨ててはいけないのだ。自分の主張が聞き入れられないからといって患者を診ないのでは、まるで同じ球団の帽子を被らなければ仲間に入れてもらえない子供の仲良しクラブと同じである。大人の社会とは、仮に主義主張が異なって、遂に最後まで分かり合えなくても、それでも仲間として認め合う人たちの集まりのことを言うのだと思う。
 慢性疾患診療はとても難しい。ほとんどの場合完治はしないので、長く携わっていると自分は何もできないという無力感に苛まれることもしばしばである。ここで十分に注意しないと、知らず知らずのうちにイライラを患者に向けることになりがちである。慢性疾患の原因は多種多様であり、それ故対処は難しい。解決を急ぎたい気持ちは十分に理解できるが、慢性疾患の原因をタバコのような分かりやすいたった一つに絞込み、それだけを糾弾して解決したように思い込むのは子供が取る、あまり賢い態度ではないと思う。難しい問題とはいくつもの解答がありうる問題のことを言うのであり、一つがだめならば、次の解答を考えましょうと言えるのが大人だと思う。私は大人でありたいから、たとえ患者がヘビースモーカーであってもアル中であっても、そして言うことをサッパリ聞き入れてくれなかったとしても、決してあなたを見捨てはしませんよと言える医師になりたいと常々思っている。