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大震災から半年が経過して思うこと

 仙台市医師会から東日本大震災に関する活動報告をするように求められ、小論を書いてみました。

 東日本大震災への対応、支援活動、体験、感想について報告するようにとのご命令である。被災地に居ながらにして大した被害も受けず、報告すべき医療支援活動も行わなかった小生にとっては正直辛い命令である。しかしながらあの大震災から半年以上が経過して生活もほぼ通常状態に戻った今、あの時自分が何を考え、何をすべきであったか振り返ることは今後の生き方にとって大切なことだと思われるので、重いペンを持つ気になった次第である。
 震災発生時は丁度午後の診療を開始した直後であり、待合室には10数人の患者さんが居合わせた。医院の自動ドアが開閉できなくなる事態を想定して、地震発生時にはまず玄関を開け放し、患者さんを駐車場に誘導するべく当院の災害マニュアルに定めてあった。当院スタッフはそのマニュアルに従ってすぐに行動し、ほとんどの患者さんを無事に院外へ誘導することが出来、幸い院内に閉じ込められるような事態には陥らなかった。果てしなく長く感じた本震の後、まずは診察室隣の処置室と事務室の状態を確認したが、建物が比較的新しく、耐震構造であったおかげでほとんど被害がなかった。今から数年前に小さな地震があった際、たまたま手伝いに来ていた妻がスチールのラックや薬品庫の倒壊を心配したことがきっかけで、当院ではありとあらゆる棚類を壁にL字鋼で打ち付けていた。このことが今回の巨大地震にあってもほとんど被害がなかったことの大きな理由だと思う。対照的に固定を施していなかった医院二階のスタッフルームと小生の部屋は被害が大きく、テレビは落下し、本棚は傾き、崩れた本の山で足の踏み場もないほどであった。結局のところ家具類の倒壊予防には見た目の問題や壁への傷等の支障があったとしても、しっかりと金具で壁に固定することが最も有効で、天災の後に続く人災を防ぐにはこれ以外にないように思う。棚が倒壊して患者さんが下敷きになるような事態が起こらなかったことは本当に幸いであった。
 直後に発生した停電で医院の機能は全てが一斉に麻痺状態に陥り、診療の継続は困難と判断し、駐車場で待機していた患者さんに一刻も早い帰宅を促した。しかしこの時、津波のことは全く頭になかったことを正直に報告しなければならない。もともと待合室にはテレビを置いていなかったが、緊急時の情報収集に不可欠であるポータブルラジオすら用意していなかったことは大きな反省事項である。携帯電話のワンセグを利用すればテレビ放送を見ることができたはずで、何故あの時そのことに気付かなかったのか良く分からない。結果として医院を去る患者さんに、国道45号線、産業道路が危険であることを一切伝えることが出来ずに終わったことはまさに痛恨の極みである。それにつけても小生は前任病院である東北厚生年金病院に平成9年に着任以来かれこれ15年近く高砂の地に勤めているのだが、今回の震災によってかの地がどれだけ海に近いかということを初めて認識した。それは医院スタッフ達にも同様のことであったらしく、震災後彼らの間に次なる大地震と津波の再来に対する不安が沸き起こり、その対処にも苦労した。ネット上には根拠に乏しい地震予知の情報が飛び交い、それらを鵜呑みにすることの危険性を何度も説明するはめになった。いわゆるメディアリテラシーの重要性を認識した次第である。
 オール電化の医院は、当然のことながら停電に弱い。停電でも紙カルテであれば早期の診療再開が可能だったかもしれないが、電子カルテでは手足をもがれたごとく、もうどうにもならなかった。まともな診療が出来ない以上いたずらに医院を開いておくのは却って患者さんに迷惑だと思い閉院を選択したが、震災3日後に通電が再開した自宅で観たテレビは高砂市民センターの窮状を伝えていた。言いようのないもどかしさと自己嫌悪感に襲われて、何が出来るかわからぬままとにかく医院には居ようと思い立ち、翌日から妻と二人で医院に待機した。ぽつぽつと患者さんが訪れ、みな一様に疲れた表情を見せながらも医院の無事を喜び、ある人は自らが被災しているにも拘らず水や食料を運んできて下さった。いつものお薬をと思ってもカルテが動かなければ処方内容が分からない。お薬手帳はもちろんのこと、保険証も糖尿病手帳も、何一つとしてない状況での悪戦苦闘であった。事情は隣の薬局でも同様のはずだったが、通電が再開した20日までの9日間職員総出で何百枚あるか分からない前月の処方箋を一枚一枚手作業で探し出し、処方内容を知らせてくれたことには今でも深く感謝している。
 繰り返しになるが、小生は何も出来ない以上、いたずらに医院を開いておくことは良くないと当初思っていた。しかしながら震災数日後に訪れた患者さんが口にした、「とにかく医院が無事で、先生の顔を見ることができたことだけで安心した」とういう言葉で考えが変わった。災害時においては医療を提供する側の「何も出来ない」という危惧と、被災者側の「とにかく先生が居てくれるだけでよい」との思いの間に大きなギャップがあるのである。開業医一人では出来ることにはおのずと限界があり、どう頑張っても報道されるような災害チーム医療の実施は不可能である。しかしながら一人でも出来ることがある。本格的な災害医療は派遣されてくる医療チームに任せたとしても、とにかくその場に居て地域住民の相談に乗ること、あるいは聴診器を当てることだけでも被災者にとっては大きな救いになるということを今回の震災は教えてくれた。それは医療の最も基本的な在り方、「手当て」であり、大切なことを忘れていたなと思うのである。今後再びこのような大災害には遭遇したくないものだが、仮にそのような事態に陥った際には、もう少し積極的に被災者のもとに寄り添える医師になりたいと願っている。