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ご近所付き合い

 10月31日はハロウィンだった。ぼくが小さかった頃、ハロウィンなるものの存在は全く知らなかったし、ハロウィンパーティーを楽しむ家庭もおそらくぼくの周囲にはなかったとおもう。ハロウィンは日本のお盆みたいなものと今では理解しているが、亡き者たちを弔う習慣は古今東西を問わず、何処にでもあるということだ。ハロウィンの際に子供たちが叫ぶ、trick or treatという言葉、「お菓子をくれないと、悪戯しちゃうぞ」程度の意味だとおもうが、恐らく子供たちを利用してご近所さん達との親睦をより深める目的があったのではとおもう。ところが最近はかの国でも、見知らぬ人からお菓子を貰うなどとんでもない、毒でも入っていたらどうするのだという意見もあるようだ。加えて、もうだいぶ前になるが日本人留学生がハロウィンパーティーで訪問する家を間違え、大口径拳銃で射殺されるという痛ましい事件もあった。古き良き伝統も時代と共に徐々に変わるのが常なのかもしれない。
 むかし、もう四半世紀以上前に幼い子どもたちを伴って、北海道の函館市に住んだことがあった。十字街という、函館山ロープウェイ発着場に近い街に部屋を借りていた。函館ベイエリアにも近く、観光の拠点であったが、ぼくはむしろこの街にある小さな商店街が気に入っていた。食料品はもちろん、酒屋さん、洋服店、靴屋さんまであって、なんでも揃う便利な商店街だった。函館の人たちはとても暖かく、転居してきたばかりのぼくたち家族を優しく迎え入れてくれた。相棒が幼い息子の手を引いて商店街で買い物をしていると、どこからともなくお店のおかみさんやおじさんが出てきて、子どもは宝だから大事にしなさいと言いながら、息子にいつもお菓子をくれるのだった。商店街を一回りしてくると、息子のポケットは飴やらその他の駄菓子類で一杯になっているのが常であった。
 その後弘前にて暮らした数年間では、姿が見えないなとおもったら子どもたちはいつの間にかご近所さんのお家に上がり込み、お仏壇に小さな手を合わせて、お供えのお菓子を頂いたりしていた。夏のねぷたまつりの際には小さな金魚ねぷたを吊り下げて、「ねぷたっこ見いてけ!じぇにっこもけえてけ」と可愛い声で叫びつつご近所を回れば、これまたやはり息子のポケットはお菓子で膨れたものである。
 数年前、相棒の母親に次いで義兄が亡くなり、遂に彼女は独りぼっちになってしまった。ぼくと暮らすことで生活の拠点は既に仙台へと移っており、弘前にあるお墓の管理が徐々に負担となり始めていた。そんな時に墓地の管理者から、永代供養の共同墓地があることを教えてもらい、今回おもいきって墓じまい(改葬)をすることにした。相棒が生まれ育った家のすぐ近くにある墓地なので、かつてのご近所さんの何人かも参列してくれて、改葬の儀は寂しさもあまり感じずに、無事に終了した。儀式の前に、息子がむかし上がり込んでお菓子を頂いたお家を訪ね、お茶を頂きながら地域の近況をお聞きしたのだが、御多分に漏れず高齢化が進んでいるとのことだった。次世代が引き継げば問題はないが、遠く離れた所に住む子供たちが家を引き継ぐことは難しく、かといって売却するにも偲びなく、結局空き家のまま朽ち果てつつある家も少なくないようだ。当然ご近所付き合いも疎遠となり、今では昔のように近所の子供たちが訪ねてくるようなこともないそうだ。状況は想い出の土地、函館でも大差はないようで、しばらく前に函館マラソンに参加した際に訪ねた件の商店街はシャッター街と化しており、人通りは少なかった。
 最近ぼくら夫婦は、ご近所さんとの付き合いをなるべく密にするよう意識して暮らしている。特別なことをするわけではなく、世間話やお中元、お歳暮の品をお裾分けするくらいのことだが、洗濯物や布団を干している際急に雨が降り始めた時など、声をかけ合うまでにはなった。地域の清掃活動などにも極力顔を出し、朝の散歩ですれ違う人とも大きな声で挨拶するようにしていたら、少しずつ顔見知りが増えてきて、なんだか嬉しい今日この頃である。
 これから日本はかつて経験のない人口減少社会を迎える。高齢者の独り暮らしも右肩上がりに増えていく。孤独死も増えるに違いない。そんな社会にあって大切なのは、昔ながらのご近所付き合い、「向こう三軒両隣」なのかもしれない。ほんとうは、最近新たに引っ越してきた家族の子供たちにお菓子をあげてみたいところなのだが、流石にそれはこのご時世難しそうだから、せめて「おはよう」「お帰り」の声掛けくらいはしようとおもっている。