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年頭所感

 年明け早々、お酒に酔って油断した挙げ句、飼い犬に右手をガブリとやられました。ジャックラッセルテリアは狐狩り用に生み出された猟犬故、チョットしたことで興奮すると反射的に嚙み付くやっかいな性格です。噛んでしまってから、ハッと我に返り、部屋の隅に縮こまってこちらを上目遣いで見る姿には苦笑してしまいました。新年早々、波乱の幕開けでした。

 さて、今回は年頭所感としてエッセイを書きました。

 こどもの頃とても苦手だった日記について、ある時からルーズリーフに万年筆で書くようにしてから日課として定着したことについては、以前のエッセイにも書いた。今年も元日に2019~2020年の日記2年分をバインダーに綴じ込んで本棚に収めた。このスタイルにしてから早20年が経過した。お正月の昼下がり、お屠蘇の酔いもあり、つれづれなるままに20年前の日記を読み返してみた。
 年頭には必ず一年の目標を書くことにしていた。これはこの20年間、全く変わらなかった。内科学の復習、月に最低4冊の読書、苦手だった日本史、世界史の学び直しと英会話などなど。結局この20年間ほぼ同じ目標を掲げて、根気よく継続できた項目は皆無に近い。かろうじてここ数年、毎日の散歩と月間100キロのジョギングだけは達成できている程度だ。このような状況に鑑み、今年の元日はとうとう今年の目標を掲げることを止めにした。きっと今年もいつもと変わらない。そうおもった。
 「変わらない日常」というのが実は一番幸せなことなのだよとよく言われる。きっとそうなのだろうなとおもう。でもいつもと変わらない日常には、さほど目立たないが、そこはかとない寂しさというか、怖さがつきまとう。この感覚は以前には決して抱かなかったものだ。20年前、35歳のぼくは10歳に満たない二人の子供たちを抱えて、これから先の生計をいかにして立てるか悩んでいた。具体的には、このまま勤務医を続けるか、一世一代の賭けとして独立するかであった。なかなか答えは見えずに苦しんだが、あの当時どのような形にせよ、これから自分の未来は大きく変化することへの確信があり、その変化の兆しに対して一抹の不安と、そしてそれ以上のわくわく感を覚えていたことを懐かしくおもいだす。
 そして今55歳を迎えて、「変わらない日常」にひっそりと、だが執拗につきまとう変化の兆しが日ごとに明瞭となってくることに気がついた。そして、その変化の兆しには残念ながら若き日のぼくが抱いた、あのわくわく感が全く伴わない。なんとなればすなわち、これから先我が身に起こる変化の大部分は別離であり、種々の喪失であろうことが容易に想像されるからである。
 さて困った。我が人生、残りの数十年をずっと喪失や別離の悲しみを想像しつつ過ごしていくのではあまりにも切ないし、寂しいことだ。何か解決策があるはずだとおもう。ここは数多くの先人たちに教えを請うのが得策とかんがえた。諸行無常がすぐにおもいうかぶから、今年は「平家物語」を読破しようか。鴨長明もいいかな。いや、中国の思想も勉強してみたいから、老荘思想について読んでみようか。ちょっと待てよ、そもそも不安になる根源はぼくに宗教的な支えがないからかもしれない。でも今更敬虔なクリスチャンにはなれそうにないし、むしろ八百万の神のほうがしっくりくるかな。日本人は元々神仏習合を成し遂げた民族だし、一神教はそぐわないかなどと思い始める次第。
 というわけで、今年の目標は上に書いたような事柄を勉強することにしたが、おそらく例年通り計画倒れに終わるのであろう。先日新しいルーズリーフを200枚買ってきた。今年はどのようなことが書き込まれるのであろうか。出来ることであれば、明るく楽しい事柄が多くならんことを祈っている。