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明日のことはわからない?

 コロナで開けた2020年だが、早くも今日は夏至。父の日であり、部分日食が観られる日でもある。前回夏至に日食が観測されたのは慶安元年(西暦1648年)で、今から372年も前のことらしい。日本での日食観測は今回を逃すと、次回は2030年までお預けとのことだから、天気も良さそうだしぜひ部分日食を観測してみたいとおもった。ところが、観測用の日食グラスが手元にない。むかし子供向けの雑誌「学研 科学と学習」の付録に日食グラスがあって、重宝した事を懐かしくおもいだす。実家の物置を探せばあるいは見つかるかもしれないが、流石にそこまでする気は起きない。色付きの下敷きやサングラスを介したとしても太陽を直視するのは大変危険なことなので、素直に諦めて、テレビニュースやネット上の投稿に期待することにした。

 日食や月食などの天体ショーは太陽、月、地球などの惑星軌道が正確に計算されているが故に、今後もかなり先までの予測が立っている。この膨大かつ正確な計算にスーパーコンピュータが役立っていることは衆目の一致するところだろう。天文領域に限らず、最近の天気予報がよく当たるのも、膨大な量の過去データ(気圧、雲の流れ等)の蓄積と解析のなせる業である。よくは解らぬが、降水確率何パーセントというのも、過去同じような天気図の際にどの程度雨が降ったのかを参考に計算しているのではないか(違ったらごめんなさい)。

 さて、それでは我々ヒトの寿命はどうであろうか。これも例外ではなく、種々の遺伝子解析の結果、所謂長寿遺伝子やテロメアと呼ばれるものの長短である程度予測が付く時代になっている。この先さらに医学、科学が進歩すると、血液一滴から将来なりやすい病気から大まかな寿命まで簡単に予測できる時代が来るかもしれない。そのような世界は果たしてどうだろうか。ぼくはあまり良い印象を受けない。何となく、「明日は明日の風が吹く」「明日のことは誰にも分らない。明日死んでも良いように今を大切に生きる」あるいは「一寸先は闇」「一寸の光陰軽んずべからず」といった姿勢の方が好きだなあ。寿命も含め、先のことが既に分かっていたら、以後あまり努力もしなくなりそうだし。やはり人間はより良い明日を夢見て日々頑張るのが本当の姿だとおもう。でも、いくら頑張っても先が見えないのが今の時代、そしてコロナ禍に見舞われる日本の姿であることも事実だ。まことに困ったものである。

 次回夏至と日食が重なるのは、なんと西暦2802年だそうだ。日食自体もあと6億年ほどすると観られなくなるとか。その時果たしてヒトは生き残っているのだろうか。とてつもなく遠い将来におもえるが、ヒトの祖先である霊長類が出現したのは約6500万年前、いやいや地球誕生は46億年前である。そう考えると、今耳目を集めているあれもこれも、実に矮小な、どうでもよいことにおもえてくるのだった。さて父の日だ。食材を集めに出かけよう。