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父の本棚

 梅雨入りしました。先日は32度を記録した仙台ですが、気温の変動が大きく、堪えます。今年の夏はマスク着用の影響もあって、熱中症が心配です。人込みの中は仕方がありませんが、それ以外の場所では適宜マスクを外す方が安心です。

 今回は「父の本棚」と題してエッセイを書きました。

 父が亡くなってから1年半が過ぎ、空き家となっている実家の整理に漸く重い腰を上げて取り組み始めている。おびただしい量の本を前に暫しの間手足も出ない状態だったが、意を決し、捨てるものと残すものの選別を始めた。本を捨てるということは実にストレスフルな行為で、その作業は遅々として進まない。どの一冊にも父の思いが残っているようにおもえて、書き込みやアンダーラインが引いてあるのを見つけると、もう捨てられない。それでも何とか心を鬼にして大々的に捨てた。近くにある生協店舗のリサイクルポストに運んだのだが、重量にしてなんと270㎏に達した。

 せっかくだから、残すと決めた本を大雑把にでも分類しつつ書架に整理することにした。植物分類学者であり、第二の職場では保育士の教育に従事した父なので、植物や自然、保育関連のものが多いのは当然として、数学にかんする本で書棚一段を占めたのには驚いた。昔ぼくが中高生であった頃、因数分解から微積分に至るまでわかりやすく教えてくれたことを懐かしく思い出した。圧巻は漱石全集。大正15年生まれの父にとって、夏目漱石は思い入れの深い作家で、その作品をリアルタイムに読んでいたのだろう。文学全集、古典全集などのいわゆる「全集」を揃えるのは当時の流行というか、ある意味でステータスシンボルだったのかもしれない。ちょっと変わったところでは「歌舞伎全集」、「古典落語全集」、「日本画集」などもある。意外であったのは「日本語」にかんする本が数多くあったことである。日本語文法や諺、言い回しにかんするエッセイや解説本、そして辞書類。漢和辞典、古語辞典、難訓辞典、故事諺辞典、人名辞典や文学辞典まである。ドイツ語、ラテン語、ロシア語にスペイン語辞典まで見つけるに至り、父の知的関心が多岐にわたっていたことを改めて知り、痛く感心した次第。

 父は膵臓癌が判明してほぼ寝たきりになるまで、週に数回はバスに乗って仙台市街まで出かけ、本屋さんに寄ってくるのが楽しみであった。晩年はかなり認知機能が低下し、家族としては迷子になりはしないかと心配したものだが、買ってきた本を嬉しそうに開いている姿を見ると、出かけるなとは中々言えなかったことを懐かしくおもいだす。今回蔵書を整理していて、比較的新しい本が重複して本棚にあることに気が付いたのだが、なるほど認知症になれば、同じ本を何度でも買ってしまうのだなと納得。それにつけても本屋さんに出かけて行って、その都度同じ本を買って帰ってくるということは、よほどその本にインパクトを感じていたのだろうと感心したのだが、ある日今度は父の洋服を整理していて、その謎が解けた。ポケットの中に書名、著者と出版社を控えたメモがあった。父はこのメモを見ながら本屋さんで購入。そのメモを捨てずにポケットに戻すものだから、次の機会にまたそのメモを見つけて再度購入してしまうというのが真相だろう。いやはや、ぼくも気を付けないといけない。新聞の書評を読んで気に入ればネット書店でポチっとするのが常だが、物忘れが始まれば、際限なく何度もポチっとしてしまうようになるかもしれない。ある程度の年齢に達したら、ネット通販やキャッシュレス決済から手を引くようにしないと危険かもとおもった次第。スマホなどのガジェットに慣れた世代が高齢化して認知症を患うと、恐らくこのようなトラブルが雨後のタケノコのように増えてくるに違いない。

 それはさておき、ようやく父の書棚整理も一段落した。これからはなるべく時間を作り、父の遺した本を少しずつ読み進めていきたいとおもう。ぼくの本棚も既に未読本で溢れており、恐らく今後一生かかっても読破は出来ないであろうが、まあ老後の楽しみだ。ぼくの蔵書と合わせた大量の本をどうするかは次の世代、特に本が大好きな娘に託したいとおもう。