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予防措置原則という考え方

 寒い日が続きます。5月2日に30.8度の真夏日を記録した仙台ですが、昨日の最高気温は9.5度でした。体に堪えます。
 新型コロナウイルス感染症の流行に歯止めがかかったように見える今日この頃、ホッと一息付けますね。

 今回は「死者40万人の恐怖」について書いてみました。


 この数週間で新たな感染者の報告数が明らかに減少傾向となっており、政府は関西の二府一県において緊急事態宣言を解除することを決定した。ぼくを含め、長い自粛生活、ステイホームに漸くピリオドを打てるとホッとしている人たちが多いとおもう。思い返せば4月中旬、厚生労働省のクラスター対策班から出された衝撃的な試算(対策を全く取らない場合、国内では重篤患者が約85万人に上り、半数が亡くなる恐れがある)以降、街中から人波が消えて、繁華街は火が消えたように静まり返った。今、この「何も対策を講じなければ40万人が死亡するという数理モデル」の妥当性について、疑問視あるいは批判する論説が色々な媒体で目に付く。「なんだ、脅かしやがって。8割の外出自粛なんて無意味だったんじゃね?」とか「1億2千万の国民に自粛を強いて、被った経済的損失の責任はどう取るのだ?」等々。ぼくはこの手の批判には与しない。その理由について書いてみたい。

 何といっても相手は「新型」なのであり、何が引き起こされるのか、どのような対策が正解であるのかは、たとえ専門家であっても明確には解らない。解らないなりにも、何か行動を起こさなければならない状態だったのだ。危機が差し迫っているとおもわれる時(実際、欧米での死者数は悲惨なもので、4月初旬には誰もが東京の行く末を案じていたのではないか)、取り敢えずその時点で最善と考えられる予防策を、やや大袈裟に、脅し口調で国民に説いたことはそれほど大きな間違いではなかったとぼくはおもう。もちろん、この「〇〇しないと大変なことになりますよ。」といった警句に短期的な効果はあっても、長続きしないことを誰でも経験的に知っており(少年が叫ぶオオカミが来た!)、今後ウイルスの第2、第3波が襲ってきたときには、恐らくあまり自粛がなされないと危惧する。それでもまあ、とにかく今回は難を逃れたことを言祝ぐべきだろう。

 一刻を争う未体験の事象に際会したとき、その対策を練る上で根拠の説明を執拗に求める(流行りの言葉で言えば、エビデンスを求める)ことはあまり賢い態度ではないようにおもう。あれこれと会議場で手を拱いているうちに事態はより深刻化してしまう。予防措置原則と呼ばれるが、化学物質や遺伝子組み換え等の新技術に対して、環境やヒトに重大かつ不可逆的な影響が及ぶとする仮説がある場合、その仮説が現時点で科学的に証明されていない状況でも規制措置を可能とする考え方が大切だ。欧米でうなぎ上りに増えていく死者数を見た時、パリ、武漢、ニューヨークなどが行った都市のロックダウンを到底行えそうにない我が国において、取り敢えずは国民に外出の自粛を求めた苦肉の策をぼくは擁護したい。感染症は怖い。100年前に流行したスペイン風邪(A型インフルエンザ)では日本においても患者数2300万人(当時の総人口は5666万人なので、全国民の40%近くが罹患)、死者は38万人だった。総人口1億人を超える現代日本において、この規模の流行が起これば、死者40万人という想定も荒唐無稽とまでは言えないのではないか。今、幸いにも日本では感染拡大が落ち着きつつある。そのことを素直に喜び、結果的に過剰であったとおもわれる対策であっても、批判すべきではないとぼくはおもう。結果オーライである。

 それにつけても、日本における感染者、死亡者数の少なさは特筆すべきものがある。その理由が果たして奈辺にあるのか、興味は尽きない。今後数多くの研究者によってなされる探求が、必ずやこの新興感染症の予防、治療法の確立に繫がるものと信じている。