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臨床的惰性とは何か?

 今日から3月です。陽射しには強さが増してきて、梅も開花。木々も芽吹いてきて春を感じます。件のウイルス感染症にかんしては予断を許さない状況ですが、これから暖かくなってくると冬のウイルス性感冒は落ち着くのが普通です。パニックにならず、とにかく手洗いを頻繁にすることを徹底しましょう。

 今回は有効な治療手段があるにもかかわらず、選ばれない理由について、インスリン治療を例に説明してみます。


 今年で満92歳を迎える母と同居を始めて1年以上が経過した。父が逝ってから暫しの間失意の底にあった母も、「去る者は日日に疎し」で、最近はずいぶんと明るくなってきた。妻として、あるいは母として今まで立派にその役割を果たしてきたのだから、余生はのんびりと、気楽に過ごせばよいとおもうのだが、食事の支度からベッドメイクまでぼくの相棒に迷惑をかけて申し訳ないと毎日連日念仏のように繰り返す。ぼくの相棒は竹を割ったような性格で、出来そうにないことは明確に出来ないと言うし、無理は決してしない。だからそんなに遠慮しなくても大丈夫だよと何度も母を諭すのだが、物忘れも手伝ってか、相棒と顔を合わせるごとに申し訳ない、済まないとエンドレスに繰り返す。感謝の気持ちはありがたいのだが、そうそう何度も迷惑をかける、申し訳ないと言われ続けると、ぼくも相棒も少々うんざりするのも偽らざるところだ。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、いずれは我々夫婦も誰かに介護され、必ず歩む道故、お互い十分に注意しなければならないねと話し合ったりしている今日この頃である。
 そんな母の異変に気が付いたのは相棒であった。過日母がトイレに間に合わず、床に失禁してしまったことがあった。その後片付けをしていた相棒が、尿がベタベタすることを見咎めた。そういえば最近やけに冷たいお茶が美味しいと言うし、尿失禁も増えてきたから糖尿病が怪しいと相棒の言。今まで母に糖尿病があるとは聞いたことがなかったし、家系的にも問題なかったはずと半信半疑ながら早速簡易測定器で血糖値をチェックしたら、驚くべきことに290mg/dlもあった。後に追加した血液検査ではHbA1cも10%以上であることが判明した。母に糖尿病があったことに驚愕すると同時に、尿がベタベタするという現象から糖尿病を疑う相棒の臨床センスというか診断力に感心してしまった。ぼくは糖尿病専門医なのだが、最近はあまりにも検査偏重で、五感、いや第六感を駆使して患者を診ることを久しく忘れてしまっているかもしれないと反省することしきり。
 さて治療はどうしようかと迷った。既に92歳にならんとしている母に食事療法や運動は困難だし、気の毒だ。好きなものを好きなだけ食べさせてあげたいし、腰痛を押してまで散歩や体操を求めるのは酷なことだ。そこで、ぼくは内服薬一種類と一日一回のインスリン注射で母の治療を進めることにした。現代はぼくが医者になった時代に比べると糖尿病治療において格段の進歩が観られる。特に内服薬にかんしては単独では低血糖を起しにくい、高齢者に優しいものが次々と登場してきた。インスリンも注射後の持続時間が極めて長く、従って一日一回の注射で事足りる製剤が複数ある。その内の一つを選び、母に夕食前6単位から注射を始めた。注射と聞いて少し驚いた母であったが、いざ相棒が母の上腕部に注射してみると、そのあまりの簡単さに驚き、「全く痛くないのね。」と喜んでいた。朝食前に測定する血糖値はその後順調に低下し、治療開始3週間後には100前後まで落ち着いてきた。この間インスリンは一時10単位まで増量し、現在は6単位に戻して維持している。母の例を引くまでもなく、糖尿病の治療においてその効果が最も確実な方法は今も昔もインスリン注射だとおもう。注射と聞いてすぐに痛みを連想することは至極当然のことだが、ことインスリン注射にかんしてはその専用注射針の進歩が著しく、現在最も細いものはその直径が僅か0.18㎜である。実際に自分で刺してみると、驚くまでに痛みがない。もちろん自分で注射するという抵抗感、精神的な痛みまでは完全に払拭できないが、母のケースのように第三者に注射してもらう状況にあっては、殆ど苦痛はないに等しいとおもわれる。かくのごとく痛みが少なく、かつその効果は確実である以上、インスリン注射はもっとたくさんの糖尿病患者に取り入れられてよい治療法なのだが、残念ながら現実は異なる。
 その理由について探ってみよう。第一にはやはり注射は痛いという先行イメージがことのほか強いこと。このイメージを払拭するためには、実際に注射を体験してもらうことが一番なのだが、多くの糖尿病外来は混雑を極め、時間を割くことが難しい。第二に一度インスリン注射を行うと、一生涯継続しなければならないとの誤った認識が広がっていること。そのようなケースはもちろん皆無ではないが、むしろ例外であり、多くの場合は数か月から1年の期間を経て、インスリン注射から離脱することが出来る。母の場合もおそらく、もう少しすれば内服薬のみでコントロールが可能となるとおもわれる。第三に低血糖が恐いという誤った認識。インスリンは着実に血糖値を下げる故、注射後に食事を摂取しなかった場合や誤って大量を注射してしまうと確かに低血糖を起す可能性はある。しかしながら少量から中等量(おおよそ10単位程度)までの注射であれば、殆ど心配はない。低血糖にかんしては、むしろ内服薬、特に未だに数多く処方されているスルホニル尿素剤(SU剤)によるものの方がより重篤化しやすく、危険性が高いことはあまり知られていない。そして第四にその費用が高いこと。注射治療を選択すると自己注射指導管理料や薬剤費を含めて自己負担額が毎月1万円を超える(3割負担)のが現実だ。しかしこの費用問題は「入り口論と出口論」とでも言うべきか、長い目で観る必要がある。既知のことだが糖尿病はその慢性合併症が多い故、療養生活の後々になって医療費が嵩みやすくなる疾患である。医療費が高騰する理由の代表が糖尿病腎症により慢性腎不全を来した末に必要となる人工透析である。公的助成制度が確立しており、一ヵ月にかかる費用およそ40万円の大半を国が負担してくれるが、それでも自己負担額として毎月やはり1~2万円は必要だ。そして残念ながら人工透析は生きている限り、ずっと継続する必要がある治療だ。加えてこの先膨らみ続ける医療費削減策の一環として、あるいは自己負担額の増額も今後検討されるかもしれない。先に「入り口論と出口論」と書いたのは、つまり糖尿病と診断が付いた入り口の時点で多少高価でもインスリン治療によりしっかりコントロールを付けて合併症を防ぎつつ生涯元気で過ごすのか、あるいは当初の費用を惜しんで不十分なコントロールのまま十数年後に合併症を来し、透析や高価な眼科治療を相次いで受けつつ高額な医療費を払い続ける出口に向かうのかということなのだ。
 インスリン治療はほぼ例外なく良い効果をもたらす。もっと積極的に取り組まなければいけないのだが、上述したような理由から敬遠されることがとても多い。打開策は結局のところ医療者、特に担当医がどれだけ一所懸命になれるかにかかっているのだが、ここにも大きな障壁がある。どの病院の糖尿病外来も患者に溢れ、担当医は燃え尽き直前で疲労困憊しているのが現実だ。本来であれば、一人ひとりの患者にもっと時間をかけてインスリン治療のメリットについて説明、納得してもらうことが理想なのだが、残念ながら上述した4つの問題点を一つひとつ根気よく解決していく余裕は時間的にも精神的にもないのが現実だ。患者側としても、出来ることなら注射はしたくない、新しいことを覚えるのは億劫だとの気持ちがどうしても優位に立つ。その結果、現行治療の効果が目標としている域におよそ達していないにもかかわらず、適切かつ必要な治療強化がいつまでもなされず、患者も担当医も今のままでは良くないことをお互いに何となくは解っているのに、「まあいいか。」という暗黙の了解でまた今月も診察、受診を終えている現実がある。このことを専門的な用語で「臨床的惰性(clinical inertia)」と呼ぶ。この惰性から抜け出すために有効な手段の一つが病診連携である。「診る目を変える」とぼくは呼ぶが、あれこれ外来で工夫しつつ治療してみても改善が思わしくない場合には、おもい切って担当医を変えることを提案している。つまり病院に紹介して治療の見直しをしてもらうのである。多くの場合入院治療が選択され、必要に応じてインスリン治療が導入されて、びっくりするほどコントロールが改善するケースがとても多い。これからの病院は重症者の入院治療に軸足を置き、外来に通う軽症者はなるべく地域の診療所に逆紹介して自院の外来をスリム化することが求められる。そのような状況に鑑み、当院としても治療経過のおもわしくないケースはより積極的に病院へ紹介し、状態が落ち着いたらまた戻ってきていただく、加えて新規軽症患者はどんどん紹介していただくという方針を取ることにした次第である。
 母に糖尿病が判明したことで、ぼくにとってこの病気は今までより以上に身近なものとなった。周知の如く、この病気にはある程度遺伝が関与する。五十路を迎え、ぼくも糖尿病の好発年齢に達したと言える。現時点では異常はないものの、今までより以上に注意して生活する必要があろう。具体的には飲食量、特に酒量を控え、今まで以上に運動に励むことになるだろう。昔から、医師は自分が専門とする疾患になりやすいとする迷信がある。その迷信を支持するケースにならないよう、これから日々十分に注意して過ごすつもりだ。