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故事ことわざに学ぶ

 平成30年の人口動態統計を見ていてため息が出た。出生数は92万1千人、これに対して死亡数は136万9千人で、自然増減はマイナス44万8千。自然増減のマイナスは平成17年からほぼ毎年続き、その下げ幅も年々大きくなっている。ぼくは昭和40年、第2次ベビーブームのおおよそ8年前の生まれだが、この年の出生数は182万4千人で平成30年のほぼ2倍だった。婚姻数もこの頃は年間ほぼ100万組を超えていて、こちらも平成30年の59万組のほぼ2倍。最近の合計特殊出生率は1.42なので、この59万組に掛けてみると83万7800となって、今後も出生数は更に減っていくことが予想される。ちなみに離婚数は戦後から昭和40年頃まで10万組に満たず、昭和50年頃から漸増、平成時代に急増して、ここ数年は20~25万組で推移している。ざっくりと言えば、最近の日本人は容易に結婚せず、昔に比べるとより簡単に離婚するということか。

 「年が明ければ、令和2年、半世紀ぶりにオリンピック・パラリンピックが日本にやってきます。そして、令和7年には大阪・関西万博。昭和39年の東京五輪、45年の大阪万博、正に高度成長時代のど真ん中で、我が国の経済社会は五輪と万博を契機に大きな変化を遂げました。令和の時代を迎えた日本も今、新しい時代への躍動感にみなぎっています。」
 これは先に閉幕した第200回国会(臨時会)を受けて12月9日夜に開かれた記者会見で安倍内閣総理大臣が最後の方で述べた一節である。これを聴いてぼくは、安倍総理大臣は来年の東京オリンピック、そして令和7年の万博を機に日本がかつての高度経済成長期のように再度発展、いや復活を遂げると本気で信じているのだなと何だか感心してしまった。ぼくも出来ることならそう信じたい。でもたぶん、きっとそうはならない。  
 昭和39年の出生数は171万7千人、昭和45年は193万4千人、ここから昭和48年の第2次ベビーブーム、209万2千人に向けて右肩上がりに出生数は増えていく。国民はみな若く、子供の数が増えるとともに必要な物品も多くなり、消費行動もどんどん活発化する時代だったのだ。加えてこの当時は今のように多彩な娯楽がなかった。スマホもゲーム機もない。海外旅行も今ほど一般的でなく、そんな時代だからこそ万博に人気が集まったのだとおもう。

 大阪・関西万博が開かれる令和7年は、昭和22~24年生まれの「団塊の世代、第1次ベビーブーマー」が全員75歳以上の後期高齢者となる年で、いわゆる「2025年問題」が始まる年である。足腰にガタの来た後期高齢者が広い万博会場を縦横無尽に歩き回るという図はちょっと想像しがたい。更に温暖化が加速し、灼熱地獄となった大阪で気分が悪くなって倒れる高齢者が続出なんてことにならなければ良いと心からおもっている。

 ぼくが生れた年の翌年、昭和41年は丙午(ひのえうま)だった。丙午生まれの女性は気性が荒く、結婚した男性の運気を下げるなどと言われる。もちろん迷信なのだが、信じる国民は未だに多く、せっかく授かった命を中絶するケースまであったのだ。実際この丙午騒動により、昭和41年の出生数は前年比で25%も減った。この丙午、60年ごとに巡ってくる。次は何時か?2026年、令和8年なのだ。令和7年の万博が終わり、その翌年に出生数はどうなってしまうのだろうか。前回ほどではないことを祈るのみだが、もし前回の丙午と同じように25%も出生数が減るとしたら、60~70万人しか赤ちゃんが生れないことになる。「祭りの後の寂しさ」程度では済まない事態なのだ。残念だけど、そして暗い予測でほんとうに申し訳ないのだけれど、令和2年のオリンピック、7年の大阪・関西万博を機にむしろ日本の経済は更に低迷する可能性の方が高いようにおもえて仕方がないのだった。でも、人口が減る、経済規模が小さくなることは、きっと悪いことばかりではないはずだ。食料自給率だって上がるかもしれないし、クルマの数も減って、騒音も事故も減るだろう。広い土地も安く手に入るようになって、空気のきれいな田舎でのびのびと暮らすことが可能になるかもしれない。

 そう、明日はどうなるか、誰にも分らない。人生万事塞翁が馬。災い転じて福となす。禍福は糾える縄の如し。昔の人は実に意味深長な言葉を残してくれているなあ。さあ、また明日から頑張ろう。