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エッセイについて

 先日見ず知らずの方から一葉のお便りが届いた。ぼくが数年前に書いたエッセイを日本医師会が取り上げてくれて、同会のホームページに掲載してくれたものを読んで感想を寄せてくださったのだ。かれこれ10年以上、月に一本のペースでエッセイを書いてはクリニックのホームページに掲載してきたのだが、知り合いや関連する業界の担当者から感想が寄せられることはあっても、今回のように全く交流の無い方からお便りを頂いたのは初めての経験で、とても嬉しくおもった。
 普段考えていることやおもったことを題材にして、なるべくわかりやすい文章で記録しておきたいと考えて始めた趣味のエッセイ書きだから、まあ私日記の延長のようなものである。出来上がった文章を何度も読み返しながら、この表現はもう少し格調高く出来ないか、いやむしろもっと柔らかい方がよいかしら等いろいろ推敲を重ねる時間が十分に楽しいのであって、当初は出来上がったエッセイを何かしらの方法で公開しようとはおもっていなかった。今も昔もぼくの書くエッセイの熱烈な支持者は我が相棒だけであって、彼女が褒めてくれれば合格、あまり受けなければ不合格ということにしていた。ところがそのうちにSNS全盛時代を迎え、フェイスブックなるものに投稿すると、結構な数の反応が返ってくることを知った。少なくない時間をかけてせっかく書いたエッセイなのだから、より多くの人に読んでもらいたいとおもって暫しの間せっせと投稿していたのだが、実はそこに大きな陥穽が潜むことに気付くまでそれほどの時間は要しなかった。
 SNSに投稿すると、その投稿内容に何人が目を通したかが判る仕掛けになっており、実は目を通したこととしっかり読むこととは全く異なるのだが、凡人はどうしても表示されるその人数に一喜一憂してしまうのだ。すると無意識のうちに読者、いや実際には読んでくれていないただの通りがかりの人々に迎合するというか、受け狙いの安っぽい文章を書くようになる。じっくりと推敲することなく急いで仕上げてパッと公開するから、まるで熟成の足りないワインのような、味わいの無い薄っぺらなエッセイになってしまうのだ。それが嫌で、数年前からはフェイスブックへの投稿を止め、自らのクリニックホームページ上にのみ掲載することにした。これだとブログ、あるいは公開日記、つまりは発信一方向で、果たして何人が読んでくれたのか皆目わからない。でもそれでよいのだと今ではおもっている。自分の書いた文章を公開するということは、実はたいへんな勇気と覚悟が必要な行動である。責任が伴うと換言してもよい。旅行記などの牧歌的なお話だけなら問題ないが、例えば時事問題や世界情勢などにかんする意見を述べれば、当然反論、異論に留まらず誹謗中傷の類まで寄せられることを覚悟しなくてはならない。このことは、例えばツイッターなるSNSにおける、いわゆる炎上と呼ばれる事態をおもいだしていただければお判りいただけるとおもう。炎上することを厭わず、むしろ楽しめるような人だけがSNSを利用するべきであって、良きにつけ悪しきにつけネット上の不特定多数から寄せられる反応に一喜一憂するような敏感で繊細な人はタッチすべきではないと最近はおもっている。いや、もっと大切なことを忘れてはいけない。素人が書いたエッセイなど、かりにネット上で公開したとしても、多く見積もって数百人の目にしか留まらない。エッセイストとしてちょっと有名になりたいなどと間違っても夢見てはいけないのだ。文章を書くことが好きで、自分が生きた軌跡としていくつかの作品を残す。それが誰の目に留まらなくても構わない。自分が楽しければ、それでよい。そんな風にさらりと流す態度がたいせつなのだと最近おもう。
 というわけで、今後もおおよそ月に一本のペースで細々とエッセイを書いてはクリニックのホームページに載せることをささやかな楽しみとして続けていきたいとおもっているのだが、実は最近ネタ切れになってきたのが偽らざるところである。雑誌に月一回の連載を持つライターの苦労がほんの少しわかる気がする今日この頃なのだ。