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子雀よ安らかに

 今朝、歯周病が癒えた愛犬ラッキーを連れて散歩に出かけた。暫く行くと、道の真ん中に子雀がじっとしている。ラッキーが近づいてクンクンとしても動かない。具合が悪いのだと直感した。このままここに放置しては車に轢かれるか、カラスやネコに襲われること必定だ。意を決し、手を伸ばす。そっと手掌に掬い上げると、弱々しく足を突っ張って抵抗を試みるが、頭を優しく撫でてやるとやがて落ち着いた。小さな嘴をパクパクとさせ、円らな瞳でこちらを見つめる。さてどうしたものかと考えながらも、とにかく家に連れ帰って介抱してみようとおもった。ところが、家に向かう途中で子雀はみるみるうちに弱っていった。やがてぼくの掌の中で一度強く身をよじり、その後ふっと力が抜けてそのまま動かなくなった。元気いっぱいであるべき子雀が、飛べないほどに弱っていて目立つ外傷もないならば、明らかに何か重い病気で、きっと最期の時を穏やかに過ごそうとおもっていたのだろう。それなのにヒトに捕まり、その恐怖はいかばかりであったか。獣医師でもないぼくが連れ帰ったとして、何ができたであろうか、余計なことをしたかなとのおもいが一瞬頭を過った。しかしこれも何かの縁か。独りで逝くのはさぞ寂しかろう、きみの最期はしっかりと見届けたから安心して極楽へ飛んで行け。もしまた生まれ変わることがあるのなら、その時はぼくに会いにおいで。そんなことを呟きながら近くの公園に引き返して水飲み場の水道で身体を洗ってやり、植え込みの根本にそっと安置して手を合わせた。
 命は有限だ。何時かは必ず終焉が来る。そんなことは十分に理解しているつもりだが、それでも若いうちは、何となく自分だけは大丈夫、明日はまた来るよねと漠然と、さしたる根拠もないのに安心できていた。今や五十路に入り、父を看取り、愛犬たちの老化を目の当たりにする今、否が応でも命の限りを意識してしまう。ひょっとすると明日は来ないかもしれない。大切な相棒、愛するイヌたちと過ごせる時間も案外短いのかもしれない。そう考えると今この瞬間、ここに元気で在ることを素直に喜び、人知を超えた大いなるものに感謝するのだった。
 秋とはおもえないほどに厳しい残暑が続く今日の日曜日。ギラギラと輝く太陽に怖気づいてしまい、早々にジョギングは諦めて、このエッセイを書いている。例年になく暑かった夏だが、流石に朝晩は過ごしやすくなってきた。時は流れ、万物は移ろう。左手の掌に感じた子雀の温もりをおもいだしつつ、もの思いに耽る午後である。