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日記の効用

 朝の通勤時に子供たちの姿が見えないなあとおもっていたら、夏休みに入ったのですね。夏休みと言えばたくさんの宿題に悩まされたことを懐かしくおもい出すのですが、最近はそれほど大変ではないのでしょうか。「自由研究」にかんしては以前もエッセイの種にしましたが、今回は「日記」について短いエッセイを書いてみました。

 平成12年4月1日から日記を付けるようになって、今年で20年目を迎えた。当時医師生活10年目を迎えたことを機に、日々考えていることや子供たちの成長を記録しておきたいと考えたことが動機である。日記といえば、その原点は小学生の頃に夏休みの宿題で課された絵日記にあり、それは絵心のない自分にとって苦痛の最たるものであった。日記に限らず全般的に物事をこつこつと毎日続けるということがたいへん苦手であった少年は、その弱点を克服しようとその後も幾度か日記帳を買っては日々の記録を残そうと試行錯誤した。それでもやはり毎日書き続けることは難しく、その結果日記帳には「空白のページ」が続き、その白いページが自身の無能さを表しているように見えて嫌気が差して止めてしまうことが常だった。この点を考慮して、新たに始める日記は専用の日記帳を使うのではなく、ルーズリーフに万年筆で書くことにした。そうすることで、仮に書かない日があっても「空白のページ」に悩まされることがなくなった。加えてルーズリーフの罫線に囚われず大きな字で書くことにすれば、仮に数行でもけっこうなボリュームに見えるという利点がある。
 日記に書く内容にも簡単なルールを設けた。その日の出来事を客観的に記載し、それらに対する自分の見解、感想を短く付け加えることとした。日記にありがちな「反省」「内省」「恨み節」のようなものは極力書かないよう心がけた。そうすることで後から読み返して赤面するような文章にならずにすむ。日記といえども立派な文章であって、「文章」はあくまでも「読み手」を想定して書くものであり、さしずめ日記の場合「読み手」は将来の自分であろうか。実際に昔の日記を読み返してみると、その当時の「文体」にはその時自分が興味を持っていた作家や評論家の影響が強く出ていて、それらの人たちを師として自分に不足していることを認識し、それらを補い、将来どのような自分になりたいと願っていたのかが懐かしくおもい出され、気分を新たにまた精進しようと決意することも多い。つまり日記は将来の自分に対する応援歌あるいは決意表明文みたいなものなのだ。
 書き溜めた日記は情報の宝庫なのだが、20年分ともなると最初から時系列にそって読み返すことがたいへん難しい。日記に書かれた情報を有効に利用する一つの手段として梅棹忠夫氏がその名著「知的生産の技術」で提唱したカード化がある。1日分の記載をルーズリーフ1枚とし、主だった内容に関するキーワードを一つか二つ作ってタグを付ける。そしてそのキーワード毎にファイリングする。たとえば「北朝鮮」「ミサイル」「オリンピック」のように。そうすることで自分の興味、知識の偏りを明らかにすることが出来て、今後どの分野の知見を広げるべきかが見えてくる。まあ実際のところ、これらのことは電子化つまり、ワープロソフトを用いて日記を書くことにすればその大方が解決する問題なのだろうが、ただでさえ仕事でキーボードを叩きまくる日常にあって、やはり一日の終わりに万年筆で紙に字を書くという行為を大切にしたいとおもうのだ。手書きで文章を書いていると不思議に仕事で疲れ、ささくれ立った心が落ち着く。つまり副作用のない安定剤として有効だし、忘れた漢字を辞書で調べることで物忘れ予防にも繋がるのではとかんがえている。これからも書き溜めていき、その整理は老後の楽しみとして取っておくつもりだ。