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「恋」

 あっという間に時は流れ、今年も半分が過ぎ去ろうとしています。光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し。今日は夕方、雨の中ジョギングしながら頭に浮かんだ内容をエッセイに書いてみました。

 最近演歌歌手の島津亜矢がポップスや洋楽をカバーしたアルバムである「SINGER」というシリーズに嵌まっている。その歌唱力の高さは昨年の第69回NHK紅白歌合戦で彼女が歌った中島みゆきの「時代」でも大評判になった。誰もが知るヒット曲というものには当然のことながらオリジナル歌唱者のイメージが色濃く滲んでおり、それをカバーするにはかなり苦労が多いだろうし、勇気が要ることとおもう。ただ単にオリジナルと似せて歌うのでは素人のカラオケと比べるところがなく、芸がない。その歌を解釈し直し、自分らしく歌い上げるには相当の努力が必要だろう。そんな彼女の数多いレパートリーのなかでも特に気に入っている曲に「恋」がある。待ちくたびれた女が遂に愛想を尽かし、いつも待たせるばかりの男から去っていく物語。オリジナルを歌う松山千春は当然のことながら、待たせてばかりの男の立場でこの歌を歌っているとおもう。一方島津亜矢は、決して嫌いになったわけではないのだけれども、この男とこのままいつまでもズルズルと過ごしてはいけないと、別れを決意した女になりきって切々と歌い上げている。特に「今度うまれてくるとしたなら やっぱり女でうまれてみたい だけど二度とヘマはしない 貴方になんかつまずかないわ」の一節は実に艶っぽくてゾクゾクしてしまった。つい「今度うまれてきたときは、ぼくのような実直な男と出会えるといいね」なんて妄想を抱く。そのくらい色っぽい歌声だ。
 先日発熱をほぼ唯一の主訴とする女性を診察した。夕方から夜にかけて38度以上の発熱があるという。市販薬で今は落ち着いているとのことから、まずは流行の夏風邪を考えて解熱鎮痛薬を中心に処方したのだが、一週間ほどして彼女は再度訪れ、内服にて一時的に解熱していたものの、最近また熱が出ると訴えた。それではともう一度種々検査を行ってみたのだが、やはり何も異常がない。別な薬に変更して処方してみたが、何となく引っかかるものを感じて、これでも解熱しない場合には更に精査が必要である旨を彼女に伝えておいた。予感は的中し、彼女は翌日も受診して昨夜再び高熱に見舞われたことを報告してくれた。この経緯をふまえて東北医科薬科大学病院の総合診療科へ紹介状を書いた。総合診療科というところはぼくら第一線で戦う開業医にとってはとても有難い存在だ。誤解を恐れずに描写すれば、「よろず相談所」のような存在で、要はよくわからない、釈然としない症状や兆候を示す患者さんを快く引き受けて診断を付けてくれる心強い助っ人だ。暫くすると丁寧なお返事が郵送されてきて、ぼくはその内容に打ちのめされた。「感染性心内膜炎」であった。その多くは心臓弁膜症のような基礎心疾患を有し、歯科治療などの小手術後に発症することが多い。細菌が心臓の内部に塊を形成し、菌血症を起こす。最悪の場合この塊が剥がれて血流に乗り、脳の血管を詰めて脳血栓症を引き起こすこともある厄介な疾患だ。原因が良くわからない、持続する発熱のことを「不明熱」と呼び、その原因疾患として感染性心内膜炎は重要だ。この知識は内科医にとって常識であり、医学生でも知っていることだ。それにも拘らず、鑑別診断に挙がらなかった自分に心底がっかりした。しかしいつまでも落ち込んでばかりはいられない。「過ちては改むるに憚ること勿れ」だ。もう一度内科学の教科書を読み直す。既に何箇所もアンダーラインが引かれ、ほぼ全部覚えている内容だ。それでも診断できなかった事実に愕然とするが、これほど内科の実臨床、最前線はとても難しい世界なのだ。いつまで経っても修行、勉強の時代は続くのだ。
 ため息をつきつつも気を取り直して、CDのスウィッチをオンにする。島津亜矢は相変わらず色っぽい声で「恋」を歌ってくれる。ぼくは聞き惚れながら、つい替え歌を口ずさんでいた。「今度うまれてくるとしたなら やっぱり内科医にうまれてみたい だけど二度とヘマはしない 貴方(感染性心内膜炎)になんかつまずかないわ」。