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続・「退き際」について

 昨夜の春雷と嵐にはびっくりしました。

 今年の冬は雪が少なく、暖かでした。桜の開花も早まる予想で、今朝散歩中に観てきたところ、蕾は順調に膨らんできていました。

 春は出会いと別れの季節。あのスーパースターも遂に現役生活に終止符を打ちました。今回はそのことを題材として「退き際」についての続編を書いてみました。

 米国大リーグ、シアトルマリナーズのイチロー選手が遂にユニホームを脱いだ。何時かはこの日が来ると、誰もがおもっていたであろうが、いや、今まで数々の記録を打ち立ててきた彼だけに、もしかしたらもうしばらくファンを沸かせてくれるのではと期待していた向きも多いのではないか。力任せに引っ叩くホームランバッターではなく、むしろ外角低めのボール球をバットの先端で上手に捉え、絶妙な内野安打を量産する姿は、正に「手仕事ニッポン」を彷彿とさせるものだった。
 今回は1時間以上にもわたってなされたイチロー選手の引退会見を観ながら考えたことを、おもいつくままに二三書いてみたい。
 イチロー選手は試合の前、いつも決まった内容のトレーニングを自らに課していたという。ルーティンワークを淡々とこなすその在り様は、かつてマリナーズの同僚であった城島健司選手を以てして、「イチローさんがいると時計が要らない」と言わしめた。このエピソードを読んで、ぼくは哲学者のイマヌエル・カントをおもい出した。カントも決まったコースを毎日同じ時間に散歩していたと言われ、近所の住民に彼の姿を見れば時間が判ると評判だったらしい。また、サントリーウイスキーのマスターブレンダーは、毎日決まったメニュー(確か天ぷらそばであった)しか昼食に摂らないという話もおもい出した。食事内容によって嗅覚、味覚に生じる微妙な変化を避ける目的だと聞いた。毎日同じことを、同じ時間に行っていると、周囲の状況変化や自らの身体に生じた微細な変化に否が応でも敏感となり、大事に至る前に策を講じることが可能になるのかもしれない。
 イチロー選手は引退会見において、50歳まで現役を続けると常々公言していただけに、「有言不実行の男になってしまったわけですが、でもそう言い続けてきたからこそ、今までやってこれたのではともおもっています。」と話した。続けて、「目標を言葉にすることは、大切なことだ」「言葉に出すことで目標と向き合う勇気が湧いてくる」というような内容の意見を述べていたのだが、けだし名言だとおもう。卑近な例で恐縮だが、ぼくもかつて同じような経験をした。大震災後から始めたジョギングで走ることの楽しさに目覚め、程なくフルマラソン大会への挑戦を決めたとき、ぼくはクリニックスタッフに新年の訓示を述べる際、「今年はフルマラソンを完走する」と宣言したのだ。そうはっきりと言葉に出したことで、曖昧模糊としていた目標を明確に意識できるようになり、練習にも熱が入り、たとえ高い障壁であったとしても立ち向かう勇気が湧いてきたことをよく覚えている。人は何かに挑戦しようとおもいたった時、でもそんなこと出来っこないというおもいとの葛藤に苦しみ、早々に諦めてしまうことがとても多い。ところが、言い古されたことなれども、「出来るか否かは、実際にやってみなければ誰にも判らない」のだ。往々にして、「出来ない」とおもっているのは我々の脳の勝手な都合であって、身体は意外に出来るものなのだ。よく言われることだが、我々は常日頃その身体能力のごく一部しか発揮しておらず、潜在している能力をもし全て発揮することが出来れば、より高度な課題もこなすことが出来るという。そう、「火事場の馬鹿力」というものだ。その潜在能力を最大限に引き出すためにも、常に目標を明確に言葉にして意識し、毎日努力することが大切なのかもしれない。
 イチロー選手は今までで最も印象に残っていることを記者に訊かれ、この日に行われた彼にとって最後の試合で観客から受けたスタンディングオベーションを挙げていた。かつての栄光に浸るのではなく、あくまでも今、この時点が最高だとおもえることは素晴らしい。年齢と共に身体能力が衰えるのは生物として当然のことであり、つい「昔は良かった」とおもいがちになるのが凡人だが、その思考を続ける限り意識は常に後ろ向きとなり、もはや進歩はない。そうではなくて、肉体的な衰えを補って余りある経験を自分は今得て、それらを生かしてこれからも輝き生きていく、あくまでも今この時が一番だとおもえる人になりたいものだ。
 イチロー選手はスポーツ記者に厳しいことでも有名だった。要領を得ない質問は無視し、記者が不勉強だとみれば冷笑を浴びせることもあった。珍解答も多く、あたかも禅問答のような遣り取りもあったと聞く。自らに厳しいだけではなく、相手にも高いレベルを要求する、正真正銘のプロだった。古人曰く、「これを叩くに、小なる者を以てすれば、則ち小さく鳴り、大なる者を以てすれば、則ち大きく鳴る」と。教えを乞う者が師に尋ねることを、鐘を叩くことに喩えた言葉である。くだらない質問は冷笑を以てスルーされること必定なのだ。今後イチロー選手からより多く珠玉の言葉を引き出すためには、インタビューアーの知的レベルが相当高くないと無理であろう、そうおもった。
 それにつけても素晴らしい「平成の大スター」であった。一つの時代が終わりを告げる今、寂寞感に打ちひしがれるのだが、これから先の時代にもきっと「次のイチロー」が現れることであろう。そのことを最もよく理解して期待しているのは当のイチロー選手その人なのかもしれない。