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Nouveau riche

 今日から師走です。
 夜明けが遅くなり、つい寝坊してしまいます。今朝も目覚めたのは6時少し前。慌てて準備をして、1時間弱散歩してきました。この時期の早起きは辛いのですが、きれいな朝陽を拝むことが出来るので頑張っています。

 今回はお金のことを考えてみました。

 敬愛する武道家かつ思想家であられる内田樹先生が、何かの著作の中で「お金持ち」の定義をなされていた。曰く、「お金持ちとは、お金のことを考えなくてもよい人のことである」と。つまり貯金通帳と睨めっこしつつ、日々の生活費や住宅ローン金利、クレジットカード利用枠などに汲々とし、はたまた新聞の折り込みチラシをくまなくチェックして1円でも安いスーパーに出かけるような生活とは無縁の人のことをお金持ちというのであろう。巷にそのような人はそれほど多く存在しない一方で、もう既に十分な貯えがあって一生楽に暮らしていけるにもかかわらず、やれ投資だとか節税だ、タックスヘイブンにペーパーカンパニーを作ろうとか、実際に働きもしない姉弟に高額の給料を支払おうなどと常にお金のことを飽きることなく考え続けている人が少なからずいる。先の定義に沿えば、このような輩もやはり「お金持ち」ではないことになる。ほんとうの「お金持ち」は、その人生のある時期において多少はお金のことを考えていたとしても、やがて否応なしに別なことを考え始めるものだ。その考えは、有り余る資産を利用して生まれ育った故郷に病院を建設するとか、母校に奨学金制度を創設する、あるいは交通事故遺児にランドセルをプレゼントするなどの行為として現実化することがおおい。多分にその人の宗教的背景あるいは育ちがものを言い、ほんとうのお金持ちは、ある程度の資産が貯まると、何となく後ろめたい気分にかられ、それらを「喜捨」せざるを得なくなるものなのかもしれない。
 ほんとうの「お金持ち」と似て非なるものが、ご存知「成金」である。考えてみるに「成金」という言葉にはなかなか奥深い意味があるようにおもう。将棋の駒である「王将」と「金将」には裏がない。一方で「歩」や「香車」などの駒には裏がある。「歩」が敵陣に攻め込み裏返って金成りすれば、確かに本物の「金将」と同じ強さを発揮するのだが、悲しいかな「成金」ゆえ、本物の「金将」に比べると駒の大きさが小さく、薄っぺらい。そして「成金」には裏があるのである。つまりあくせく働き、ただひたすら出世を目指し、上司にはおべっかを使い、米つきバッタの如く頭を下げた過去、あるいは人には決して言えないずる賢さや下品なふるまいといった裏の事情があるということだ。その裏を隠そうと、あるいは自らをより大きく見せようとせんがために「成金」はいつまでも蓄財に走り、また金のネックレスや時計で身を飾り、ブランド物のバッグを持ち歩く。しかし、そのバッグの中に入っているものは知性や教養、将来への希望と展望、健全な向上心ではなく、不安や焦燥感、嫉妬心に猜疑心、ねたみなどおどろおどろしいものばかりだ。パンパンに膨れたそのバッグからは、すえた匂いがする。「成金」は頭のてっぺんから足先までいくら高級品で着飾ってみても、その姿は往々にして装飾過剰で品がなく、ブランド物ではないが祖母から受け継いだ年代物の革製バッグの中にヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」やシャルル・ボードレールの名言集などを忍ばせている女の子に敵わない。「様にならない」というか、「お里が知れる」のである。
 さて、カルロス・ゴーン氏である。真相はまだ闇の中で、何よりも本人が起訴事実を否定しているのだから予断は許さない。しかし日産自動車の経営をⅤ字回復させた恩人であり、日仏両政府の太いパイプ役でもある氏を逮捕拘留した以上、氏の違法行為を立証できる、よほど確固たる証拠があるのだろう。検察庁の勇み足を訝る意見、氏の所得はグローバルスタンダードに照らせば決して高額ではないとする論も散見されるが、やはり如何に優秀、辣腕であったとしても、個人がこれほどまでに高額な資産を独り占めし、その他大勢が辛うじて糊口を凌ぐような生活に甘んじているのはおかしなことだし、それをスタンダードとしてしまう資本主義の実態も変だなとおもう。50億円とか、普通に考えれば子々孫々が未来永劫、楽に暮らせる額を稼ぎながら、それでも更に何かを本当に画策しようとしていたとすれば、氏もやはり「成金」ということになるのかもしれない。Nouveau riche。ボージョレ・ヌーヴォーはどうも好きになれないが、ヌーヴォー・リシュ(成金)もあまりいただけない。