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輪廻

 ある雨上がりの朝、散歩の途中でふと目に留まるものがあった。遠目にはよく判らなかったが、何か特別なものだとおもった。近付いてみると、側溝の排水溝にたくさんの落ち葉と一緒に蛙が引っかかっているのだった。既に事切れており、2本の前肢を排水溝の上に出し、上半身が挟まった状態にあった。何だかそのままにしておくのもかわいそうにおもい、そっと押して側溝の中に落としてあげた。

 今年10月のある日、近くに住む従姉が急逝した。まだ69歳の若さであった。たまたまその日は休診日だったのでゆっくりと起きだし、さて散歩にでも出かけようかとおもっていた矢先に、急な知らせが入り、聴診器を掴んで駆け出した。彼女は階段の下に倒れていた。一見して事態は深刻であることが判った。既に心肺停止。恐らく数十分は経過しており、もはや打つ手は無いと判っていたのだが、このままだと不審死として司法解剖に回されかねない。それは避けたかった。救急隊に連絡し、心臓マッサージを施しながら、昔かわいがってくれたこと、ピアノを教えてもらっていたこと、高校生の頃古文や漢文の解釈に詰まったときに教えてもらったことなどが次々と思い起こされ、涙が溢れた。搬送先の東北大学病院では若い救急部の担当医が、丁寧に対応してくれた。病院到着時、既に心肺停止であったこと、可能な限り蘇生を試みたが駄目だったこと、そして先程CT検査を行ったところ、心臓が破裂して心タンポナーデを起こしていたこと、恐らくは急性心筋梗塞だったことを知らされた。
 従姉は一人暮らしであった。元々は高校の国語教師であったが、ピアノ、茶道に秀で、ここ20年ほどは織物(機織)に心血を注ぎ、何人もの弟子を持って作品展も大々的に開く、その世界ではけっこうな有名人であった。自由奔放な彼女から、だいぶ昔に先祖代々のお墓には入りたくないこと、そしてぼくの両親が紹介した樹木葬に興味を持ち、ついには北東北にある樹木葬墓地を購入したことを聞かされていた。今、彼女は希望通りに埋葬され、その場所には彼女が大好きだった「まゆみ」の木が植樹されている。
 秋も深まり、いつもの散歩コースは今紅葉が真っ盛り。街路樹として植えられているユリノキの根元にはニシキギが真っ赤に紅葉して綺麗だ。「まゆみ」もニシキギの仲間故、今頃きっと真っ赤に色づいていることだろう。四十九日を迎える来月には訪ねてみるつもりだ。

 さて件の排水溝から名も知らぬ草が生い茂っていることに最近気がついた。蛙の亡骸は土に還り、それを糧にして草が育つ。そう、万物流転、転生輪廻。命は形を変えつつ、バトンを繋いでいく。生きとし生けるもの、全てに必ず死は訪れる。死は怖い。でもぼくを構成していた細胞が朽ち果て、焼かれ、元素に戻り、そしていずれはまたどこかで生命を育む素となるとしたら、それもまた素晴らしいことだなとおもったりするのであった。