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忘却の効用について

 昨日の日曜日、釜房湖やみちのく杜の湖畔公園を巡るコースで開催された、第1回川崎レイクサイドマラソンに参加してきました。朝は曇りで走りやすいかなと期待したのですが、日が昇るにつれて晴れ間が拡がり、日差しは強くなる一方で、気温が急上昇。厳しいレースになりました。まあそれでも何とか歩かずに完走し、通算24回目のレースを終えました。次は節目となる25回目を、来月1日に行われる「第1回東北みやぎ復興マラソン」で完走を目指します。今度はフルマラソンですし、小手先の技では通用しません。残り3週間弱をしっかりと走りこんで臨むつもりです。

 今日9月11日は東日本大震災から6年半の節目ですね。先日のニュースでは、「語り部」さん達の話を聞きに訪れる人たちの人数が日に日に減ってくることを報じていました。「記憶の風化」を懸念する論調が主ですが、記憶は月日と共に風化するのが当然のことだと思います。むしろ、過去に起こった全ての事柄を逐一、何時までも覚えている人が居たとしたら、きっとその人は不幸せでしょう。精神に不調をきたすかもしれません。もちろん愛する人を失った悲しみは尽きないことは当然のことですが、そのことと、直接あの震災を経験していない人たちの記憶から大震災が薄れていくこととは次元が違うと思うのです。先の戦争もまた同じこと。リアルな戦争を経験した世代の多くが鬼籍に入る現代にあって、いくら戦争体験を語り継ぐといっても、少々無理を感じるのはぼくだけでしょうか。9月11日はあの、世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ日でもあります。あの日受けた衝撃も、やはり月日と共に薄れてきていますよね。それが当然のことなのだと思います。

 「当事者でないから、そんなお気楽なことが言えるのだ」とのご批判はもっともだと思います。でも、それでもぼくはやはり、どんなに辛く悲しいことがあっても、時間あるいは距離が人々の心の傷を癒すという考えに与したい。「臥薪嘗胆」「捲土重来」その他「忠臣蔵」まで、「この恨みはらさでおくべきか」みたいなの、日本人は大好きですが、それで本当に幸せになれるのだろうかと疑問に思うのでした。