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ぼくの人生論―娘への応援歌―

 早いもので4月も終盤です。この春から新生活を始めた人たちも、漸く少し慣れてきたのではないでしょうか。緊張がゆるむと、わけもなく気分が低迷する時期が到来します。そう、所謂「五月病」ですね。今回は新しい生活を始めたわが娘を代表とする若い人たちへの応援歌を書きました。

 今朝、通勤の車で聴いているFM放送で、アレクサンドル・ボロディン作曲の交響詩「中央アジアの草原にて」が流れてきて、気分がとてもよくなりました。大好きな曲の一つです。壮大な草原の中に佇んでいると、あれこれとした悩みも、皆小さくて大したことはないと思えるようになる。そんな気分にさせてくれる一曲です。ぜひ聴いてみてください。

 優雅な気分で譲った車線に入ってきた車を見て、これまたビックリ。トヨタ自動車の燃料電池車、「MIRAI」でした。初めてお目にかかりましたが、当たり前ながら排気口は無いのですね。スタイリッシュな車でしたよ。そういえば、仙台にも幸町の辺りに水素ガスステーションが出来ましたね。将来はガソリン車が減って、燃料電池車が増えるのでしょうね。この辺りのことをネタにして、以前「明るいMIRAIへ」と題したエッセイを書きました。興味のある方は2015年3月7日の一文を読んでみてくださいね。


 先日大学時代にぼくの進む路を強力に誘導した恩師と再会、楽しく飲み語らう機会を得た。恩師に憧れ、共に研究して業績を挙げることを夢見た時期がぼくにも確かにあった。実は大学院に進むにあたり、父からはやんわりと反対意見が寄せられていた。「真人に大学院での研究は似合わないとおもう。」そんな父の言葉に若かったぼくは深く傷つき、猛反発した。植物分類学という生粋の基礎学問研究者であった父の見立てでは、ぼくに研究者としてのストイックな面や、ある意味でのずるがしこさが決定的に欠けていることが明らかだったのだと今になってはよく解かるのだが、当時は父への反発もあって進学を強行した。父を越えたい、いや肩を並べたいとの青臭い想いがあったことは間違いない。甘かったとしか言いようが無い。だいたいにして学費すら自分では工面できず、入学金から授業料まで父におんぶに抱っこであった。結局は数ページしか読まなかった分厚い洋書は妻の給料で買った。当然の帰着として、父が危惧したとおり大学院生活はぼくにとって過酷なものとなった。あの4年間は自分に基礎研究者としての才覚が欠けていることを嫌というほどに思い知らされる挫折の連続であった。あるいは、それでも恩師に付き従って大学人として行けるところまで突き進む路もあったとはおもう。しかしその路を辿れば恐らくはどこかで破綻して恩師と仲たがいをし、あるいは恩師を恨むようになっていたかもしれないとおもうのだった。

 大好きな日曜午後のNHK-FMラジオ番組に「きらクラ!」というのがある。タレントのふかわりょうさんと新進気鋭のチェリスト遠藤真理さんが軽妙洒脱なトークを繰り広げつつ、気楽にクラシック音楽の名曲を紹介してくれる番組だ。中でも「きらクラDON!」というコーナーは数秒流れる曲の出だしを聴いてその曲名を当てる、クラシックのイントロクイズなのだが、これがけっこう難しい。聴き覚えはあってもなかなか曲名が出てこないことが多いのだが、先日は珍しくすぐに判った。ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」。この曲は先日現役引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央選手が幾度かの大会で選んだ曲で、なるほど時機を捉えた出題であった。それはさておき、暫く前の放送に二人のラジオパーソナリティー間で、もしもタイムトラベルが出来たとしたら過去と未来のどちらに行ってみたいかとのトークがあった。遠藤真理さんは過去には絶対に行きたくないと話していたが、さてぼくならどうだろうかと考えてみた。

 実はもしも一度だけ戻れるとするならば、わが人生のどの時期に戻りたいかという空想を昔から今までよく抱いてきた。散々考えた結果、その答えは高校時代というのがぼくの出した結論だった。もしあの3年間をもう一度やり直すことが出来るのであれば、もっと勉強、読書をしたかったし、部活を途中で止めるような軟弱なこともせず、友達ももっとたくさん欲しかった。あの輝かしい高校生活をもう一度と、何かの歌詞のようにおもうのが常だった。でも五十路を迎え、最近少し考え方が変わってきた。誰の人生にもたくさんの岐路がある。その岐路は二股に分かれていたり、あるいは三叉路、はたまたそれ以上であったりする。そのつど我々は複数の選択肢の中から一本を選ぶ。当然そこに親や友人のアドバイスもあるにせよ、最終的には自分の判断で選び、その岐路を越えていく。つまり今の自分というものは、数多ある選択肢をその都度悩みつつも、あくまでも自分自身で選んできた結果出来上がった唯一無二のものであり、無数にあった岐路のどこかでたった一つでも違う道を選んでいれば、当然今とは全く違う自分になっていたはずである。だから仮に今の自分が「人生の転轍点」と考えている昔のある時点に戻ってその路を選び直すことが出来たとしても、必ずしも今の自分が思い描くような理想の自分になっていたとは限らないのではないか。人生を迷路の中に隠された、過去から現在そして未来に続く正しいたった一本の路であり、途中に数多ある岐路を正解、不正解の二元論で捉えて一度も過たずに最短距離で歩むべきものと考えるから、そこに後悔や自己責任論が生まれる。人生をそのような窮屈な、一発勝負の舞台と捉えるのではなく、あくまでも偶然の産物だと考えた方がはるかに気楽で謙虚な姿勢ではないかと最近おもうのだ。

 今年娘が大学を卒業した。小さい頃から確固たる自分の世界を持ち、小学校、中学校そして高校も固い蕾のまま孤独に過ごした彼女が、自ら選んだ大学で生まれて初めて心から楽しいと思える4年間の学生生活を送り、その才能を開花させ、親しい友人が幾多も出来た。そんな彼女から大学院に進学したいとの意向を聞かされて、正直困惑した。残念ながら今でも学界は女性にとって極めて厳しい世界であり、まして名だたる著名大学でもない以上、彼女がこれから進む研究者としての路は苦難の連続であろうことが容易に想像される。いや、苦難だけなら良いが、果てはニートや引き篭もりといった可能性だって十分にあると恐怖する。進学を思いとどまり、素直に就職先を探すよう諭すのが正解であったかと悩むことしばしばである。しかしぼくには娘に対して、「君には大学院での研究は似合わないとおもう。」とは言えなかった。ぼくが父から言われた時と同様に恐らく彼女も反発して引かないであろう、そうおもった。よろしい、娘よ、自分が想った路を歩め。そう、路は幾つもある。数多ある選択肢の中にたった一つの正解があって、それらを決して誤り無く選び取って進むのが人生ではない。大切なことは、悩みつつも自分で選び自分で決めること、そしてひとたび決めた以上は決して振り返りはしないこと、深刻にならず、人生なぞ所詮偶然の産物だと軽くいなすこと、そんなふうにおもうのだった。