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おふくろの味

 相棒の誕生日に、プレゼントの一文を書きました。安上がりで助かります。

 ぼくの相棒は料理が好きだ。旨いかどうかは主観の問題というか、好き嫌いが多分に影響するので簡単に断ずることはできないが、ぼくはかなり旨いとおもっている。ふと考えてみた。ともに歩んで来年銀婚式、早25年であるからにして、人生の半分は相棒の料理を食べて生きてきたことになる。殆ど外食はせず、お昼も弁当を作って持たせてくれるから、1日3食、年間ざっと見積もって1000食、25年で25000食だ。相棒の味に慣れ親しんで当然なのだ。おかげさまで健康で、問題があるとすれば酒が進みすぎることくらいである。そうであるからにして、所謂「おふくろの味」というのも、ちょっともう怪しい気がしている。多くの人が進学等を機に10代後半で家を出るとして、母親の料理を食べるのは長く見積もっても20年前後である。その後は自炊なり外食なり、あるいは相棒の手料理なり、とにかく何十年と母親の手料理からは遠ざかる。だとすれば、もはや「おふくろの味」というものは過去の記憶の中にしか存在し得ない。そして記憶は美化されるのが常であり、比較的容易に都合よく改変されるのもこれまたよくあるお話である。ほら、オジサンたちが酔っ払って「俺たちの時代はなあ。」なんて遠い目をして語るやつね。

 だから世の夫諸君に忠告する。細君の料理に「おふくろの味」を求めるのは大きな間違いなのであって、細君がどんなに頑張ってその味を模倣したところで、諸君の記憶に残る「おふくろの味」と同じには絶対にならない。それは細君の腕前が悪いのではなく、諸君の柔軟性が悪いのである。細君の新しい味に諸君が慣れるべきなのだ。一方で世の妻たちにもお願いがある。男にとって母親はやはり思い入れのある存在であり、「おふくろの味」は確かに特別なものである。そして先に述べた如く、その味は時間の経過とともにどんどんと美化、脚色されていく。それは喩えてみれば「はじめ人間ギャートルズ」に出てきた肉の塊みたいなもので、食べたくても絶対に辿り着けないものなのだ。やれみそ汁の味が違うとか、味付けが甘すぎるとか、新婚の家庭では新妻が苦境に立たされることもあるだろう。そんなあなたにエールを送りたいのだ。怒り出して料理を放棄するのではなく、「はいはい。こんどお母様に作り方を聞いておくわね。」程度に上手にいなしておくのがちょうど良いのだ。そのうち10年もすれば、否が応でもあなたの味が彼の慣れ親しんだ味になる。絶対にそうなる。そういうことに世の中なっているのよ。

 え!なんだって?新居のキッチンが汚れるし、そもそも共働きで今や自宅で料理なんてしない?毎回外食か中食ですか。なるほど。それ以前に「おふくろの味」なんて持ち出す男は面倒だし、毎回一流レストランに連れて行ってくれるくらい財力がある男としか結婚する気はないですって?はあ。ため息が出ますなあ。でもねえ一緒に長く暮らしてくるとね、たとえ豪華な食事ではなくても、自宅の食卓が一番上等に思えるようになるものなのですよ、いやこれホント。