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教養部の復活を!

 昨日は晩春を思わせるほどの暖かさでした。道端に残っていた雪もあらかた溶けて、埃が舞っていました。これからいよいよ花粉のシーズンです。花粉症の方は、早めに抗アレルギー薬を飲み始めたほうがよいでしょう。

 さて、これから国公立大学の2次試験が始まります。大学から「教養部」が廃止されてしばらく経ちますが、それで本当に良いのか、また、昨今始まった文系学部の統合、廃止案に危機感を覚え、次のようなエッセイを書いてみました。仙台市医師会宮城野ブロックの会報に投稿予定ですが、例によってこのホームページで先行掲載です。


 ある秋の日の診察室での一コマである。患者さんがぼくの腕に残る日焼けの痕を見ながら、「先生は何かやっているのかい?」と尋ねてきた。趣味でマラソンをしていることをお話しすると、「いいことだね。ところで先生は「紺屋の白袴」(こうやのしろばかま)というのを知っているか?」とのお言葉。また別な日の夕刻、経過の長い女性患者さんに、これから所謂「食欲の秋」に注意するようお話したところ、「そうですね。注意して、家に逼塞することにします。逼塞ってご存知?」と尋ねられた。前者はうろ覚えで、確か「医者の不養生」のような意味だったか、後者は家に引き篭もることか。蟄居というのもあったかなどと考えながら楽しくお話をさせて頂いた。後から調べてみると、「紺屋の白袴」は他人の袴ばかり染めて自らは白い袴をはいていることから、他人のことばかりに気を遣い自分のことが疎かになっている様を表すのが主な解釈であることを知った。また「逼塞」は江戸時代に武士に課された刑罰の一つで、まあ自宅に引き篭もって謹慎するということだ。
 長い間外来診療を続けていると実に様々なことを患者さんから尋ねられるものだ。医学的なことは元より、孫の教育方法から時事問題、はては人気歌手の歌う歌の名前まで。状態の落ち着いている患者さんとは、診察時ほとんど雑談で終始することも稀ではなく、それで診察と言えるのかと詰問されると困ってしまうのだが、お話をしながらも顔色、声の張りや服装の乱れが無いか等をさりげなくチェックすることは決して忘れないということを言い訳にさせて頂く。
 さて、大学から教養部が廃止されて久しい。現代の最先端を行く技術や実学は日進月歩であり、それらを学生に教えるためには従来の年限ではとても時間が足りなくなったことが主因だが、一方で卒業後の即戦力となる学生を期待する企業側の要請に応えて、大学が一年生から専門教育を始めたこともその理由の一つであろう。企業側とすれば、たとえばコンピュータプログラミングの知識だとか、ビジネス英会話のスキルといった実学を習得した学生を優先的に採用したいわけで、大学4年間を通じて漱石やマルクスの著作を読破しましたとか、虫を追いかけて石垣島まで行きましたなどという学生は見向きもされないのだろう。でも本当にそれで良いのだろうかと疑問におもう。ぼくは大学教養部の二年間、真面目な学生生活を送ったとはとても言えないが、それでも息の詰まるような浪人生活から漸く開放されて心穏やかに、時に居眠りしながらも一般教養科目の講義を楽しく聴講していた記憶がある。教養部の二年間で履修した科目は政治学、経済学、心理学、アメリカ概論、社会学、憲法学など多彩であった。もちろんその講義内容は既にすっかり忘れてしまったが、それでも今様々な本を読んでいると妙な既視感を覚えることが多々あって、それらの知識の根源を探っていくと、教養部の講義であったということは決して珍しくない。
 内科の診療所を開いてから早いもので12年が経過した。この間医学では数多の新知見が発表され、それらを整理しながら的確に理解するのもそろそろ辛い年齢になってきた。それでも幸いなことに、開業医の外来診療において最も大切なことは、色々な考え方、信仰、思想を持ち、当然のことながら一人ひとり異なる感性をもつ患者さんに対して適切な面接を行い、何かしら納得できる解決策を提示できる技量だと最近おもっている。そのために役立っている知識は、実のところ医学の専門知識ではなく、むしろ心理学、宗教学や文学であることが多いようにおもう。太っている糖尿病患者さんに対して「食事を控え、お酒も控え、運動もして、タバコはもちろん止めて。」と一方的に話すことは医学的には正解でも、心理学的には間違いだったりするわけで、その辺の理解が臨床医、開業医にとってはとても大切なことだと最近おもう。
 先日ある患者さんが松本に音楽を聴きに行くというので、「サイトウキネンオーケストラですか?」と尋ねたら、満面の笑みで「やはりご存知でしたか。楽しみにしていたのです。」と満足げに帰って行かれた。またある時は福山雅治の歌う銭形平次主題歌の上手さを話題に患者さんと盛り上がった。良質な医師患者関係を築き、信頼される開業医になるために必要な手形、あるいはパスポートは、どうやら医学そのものの知識よりも、芸術観賞で養われた感性や、かつて教養部で教えられた一般教養科目に基づく知識のようにおもえてならないのである。
 時折りしも、私立医大の入試がひと段落したところである。昨今の私立医大はその倍率が20倍とか、30倍が当たり前であり、ぼくの受験生時代とは様相を異にする。超難関入試を突破することは想像を絶する至難の業であり、そのような熾烈な争いを潜り抜けて来た学生さんたちは間違いなく優秀なのであろう。しかし入試科目には数学、化学、物理、生物に英語といったものしか課されていない。この評価方法で本当に人間味のある医師の卵を選び出せるであろうか。まして入学後の6年間、ほぼ専門科目のみの授業が行われ、かつての一般教養科目は選択科目にすら無いのが実情である。優秀な基礎医学研究者だけを育てるのであれば話は別かもしれないが、いずれ地域に根付いて家庭医となる人材を本気で育てるつもりならば、古今東西を問わぬ文学や音楽、心理学、宗教から歴史学、もちろん政治経済の実際についても若いうちに濃厚に触れさせるべきだと考える。昨今俄に高まってきた文系学部不要、廃止論などもってのほかなのであって、むしろぜひ医学部に一般教養課程を復活させるべきだとおもうのだが、いかがであろうか。